幸運な病のレシピ( 559 )朝:鳥カツ、エビ唐揚げ、紫蘇入り豚と丸茄子の味噌炒め、モツ煮、塩サバ焼

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2018/7/30の食事 】



丸茄子と豚肉は母の定番だった。味噌で味を調える。
「豚肉には味噌」と僕は感じるのはそのせいかも知れない。
隣のおばちゃんがプランタの紫蘇に水をやっていた。何に使うかと聞いたら、ナスと一緒に炒めると言っていたので昨晩使った残りの紫蘇を入れたら大当たりであった。



朝から揚げ物やモツ煮と言うと少し引かれるかもしれない。
みんな朝から食べるわけではない。
モツ煮は2-3日は食べる。
揚げ物は明日の朝まである(事もある)。



しかし、満足できて、炭水化物のない食卓を作ろうとすると大変だ。
もう3年である。
色々とコツが分かってきた。
「炭水化物」は毒ではない。あまりに魅力的すぎるので、本当に必要なものが見えなくなってしまうのである。
嗜好品が、体に必要な「おいしさ」を追い出してしまっているのが「新自由主義市場が提供する食事」なのだ。

「循環し、再生する家族」というシステムを失った僕らは「食事を記憶する装置」も同時に失った。





何か魚を2つくらい食べようと思うと、塩サバはとても重要である。
今日はエビと塩サバである。



「一物全体食」の考え方に沿って牛や豚の内蔵を食べるようにしている。
モツとレバーは最も手軽に食べることが出来る内臓だ。

内臓は「組織特異性」の宝庫である。そこにしかないものも多い。
そして僕らの内蔵にもそれは必要になるのだ。
生命は皆つながっている。





しかし、食べにくい。それを食べることが出来るようにするのが「料理」なのだ。
家庭には、それぞれの家庭なりの得意料理がある。
その料理なりの良さがあり、それぞれの家族の健康を守る。

そして、家庭料理に飽きたらなくなるのも人の常である。
やがて、自分自身の真実を見つけるのである。
青年は荒野をめざすのである(笑)。


反抗期は、子育ての集大成であり、その結果「生命」は地に増え海に溢れた。
子が自分に必要な物を得ようとするが、親はそれを許さない。

種は異なった土地で、異なった生き方の中、新しい生を迎える。









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