純愛とストーカー・セクハラのパラドックス(1)『マット・ディモン問題』または「101回目のプロポーズ問題」または「かぐや姫問題」

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このエントリーは「かぐや姫問題」に入ります。


マット・ディモンってどうしても「知性派泥棒(オーシャンズ)のオツムの弱いパシリ」のイメージが強くて困る。
お尻触ったかどうかわからないけど、何らかのアプローチがあって、相手もいいよと言って、結婚して子供がいる人である。






多くの家畜にならない哺乳道物と同じように、ヒトは簡単に「ツガイ」=>「子供」が出来るわけではない。
子育てに時間のかかる哺乳類と同じように、子供が育てられる環境かを調べ、巣を選びセックスして、子供が出来て、巣立ちを迎えるためには複雑な手順が必要である。
おまけに何十にもフェールセーフ(子供が出来てツガイの片方が死んだ場合の安全策)がある。


その入口は、「軽いウインク」だったり、「お尻触ったり」である。

「見ることから欲望は始まる」(ハンニバル・レクター博士)のである。
僕は、貴重品は車の中の見える所にはおかない、かと言って外出時にヒジャブを使うこともない。




問題は、オスもメスも「マイクロバイオーム」に操られて終始セックスがしたいということである。
つまり、感染症のホストとなっている可能性は常に存在するのである。


そして、「自分の未来を想像する」と言ういらぬ能力は、「老人となった自分の姿」を想像させる。
そして、その時の生活の安定を望む。
生活の安定とは「コロニーとしての家族」をいかに作るかである。ー>行政制度としての「介護」は家族を済レートしている(行政はいつも表面しか見ていないが......)。



では、どうやって、「一発屋」と「純愛」を区別するのだろうか?
一発屋・純愛」試験紙が在るのだろうか?







単純に『「マイクロバイオーム」が相手の体内に入り込みたい場合』も、「純愛」を偽装する(笑)。
おそらく、入り込んで居心地がいい場合は何らかのメッセージを移住したマイクロバイオームは発するのではないか?

「おーい、さっきセックスして移住したけど、満足しているよー」と言う意味の何らかのタンパク質を発しているはずである。そしてそれは、相手にとって「もっとやりたい感」を生むのだろう。

どんなコミュニケーションでも「何らかの物理的なやり取り(身体にある受容体に何らかのものが接する)」が介在するはずである。
だから、マスターベーションやダッチワイフでは満足感がイマイチなのだろう(涙)。
多くの嗜好が存在するのも分かる。セックスを経由した移転先が「ヒト」であるとは限らない。
また、ペットの犬が来客にマウンティングするのもさもありなんと思える。
犬にとって、『発情しているからすぐにしたいワン』と感じ取れるメッセージ(ホルモン)を発しているのだ。








101回目のプロポーズ問題とは

表面的には「ストーカー」がいつの間にか「最愛の人」になる現象を言う。
多くの恋愛ドラマは、これをモチーフにしている。

「ストーカー」と「最愛の人」の論理的な差は「情報量」である。
つまり、言い換えれあば「赤の他人」が「家族」になる為のプロセスの研究なのだ。

ここでも、感染症に対しての防御の問題がある。

つまり、簡単に声をかけて応じる女は誰とでも寝る可能性が高いので、ヤバイ。
声をかけてくる男は誰にでも声をかけている可能性が高いので、ヤバイ。
これもまた、ヤリチンとヤリマンを排除するプロセスなのだ。








つぎの問題は「倦怠期」である(笑)。





==== ちょっと忙しくなってきたのでまた今度 =========


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