「忖度」と「パワハラ・セクハラ・いじめ」の国(7) サッカー国粋主義の不愉快、嗜好品は程々にね。

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オリンピックやワールドカップは不愉快な時期である。
いつか負けれうのに何でこんなにみんな喜ぶ。


僕は自分の大学受験を思い出すので嫌いだ(笑)。


たしかにいろいろな商品が売れるのは景気が良くなったように見えるからメディアや企業は煽る。
その影にあるものを覆い隠してはならない。



厳しい現実から目をそらそうとする私達は「嗜好品」を見つけ出して、つかの間の陶酔を味わう。
それは必要なことかもしれない。嗜好品はあなたをあなたらしくする大事な要素かもしれない。


炭水化物たっぷりの食事やアルコール、タバコ、覚せい剤若い女や男の魅惑するウインク、セーフティでないセックス(不倫)いぜれも抗うことが出来ない。

確かに、ミクロ経済の分析は、私達が「計算された消費者」ではなく「自由な意思を持った活動者」なのだということを実感する。

そして「嗜好品の依存症」は単純に否定されるべきでも、野放図に肯定されるべきでもない。






しかし、国会では多くの労働者を苦しめる(誰かの得になる)法律が成立する。
「嗜好のもつ抗えない魅力」を上手く使い、自分の利益得ようとする。
長い時間をかけて、労働者が得た権利はなし崩しにされていく。
それは仕方がないことかもしれない。

現実は、常に「希少な価値」の奪い合いである。







ああ、昨晩は、たくさん飲んで食べた。
楽しかった。
人生は我慢大会ではない。
しかし、「嗜好品は程々に」と言ってくれる「家族と言う構造・宗教という戒律」ははもう失われた。




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