幸運な病のレシピ( 477 )朝:朝6時に父が来てヨーグルトを食べて写真を懐かしんだ。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2018/6/3の食事 】
朝6時に突然父が来た。ヨーグルトを作って食べてもらった。
今撮っている「幸運な病のスタディ」で使う写真を見て懐かしがっていたので、どれが誰だか聞いてみた。
一番古い父の家族が並んでいる写真。
最後に撮った全員の写真、父の父が分家する前の写真。
僕にとっては古びた写真だが、父にとっては人生の一コマである。
何を思い、何を懐かしむのだろうか。
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写真はこちらのページから。
かつては権威に溢れ、家制度が個人という表現で現れていた。
コミュニティでは同じプロトコルに従って、個人は生きて、人生は保証されていた。
下段右から2番めが父、戦争が進んでいた頃の記念写真
分家した父の実家は色々と商売をするが、なかなか上手く行かない。
長男は事故で死んで、妻は次男と結婚して家督が守られる。
家の維持のために個人は生きていた。
1994年父は66歳である。父の一番上の姉の100歳記念の宴の写真、父と10最年上の兄しか生きていない。
詳しい人(専門家)と言うのは、多くの場合、コミュニティにおいて「そのこと」に経験のある人を意味していた。
私たちは、父母や祖父母に尋ねていた、一緒に家庭で子供を育て、食事を作り、共に行き、順に死んでいった。
そんなコミュニテイは失われた。そして個人が従うべき権威の空白を作った。
1994年と言うと新潟に帰ってきて2年目である。
もうずいぶん昔のことだ。