幸運な病のレシピ( 461 )朝:シシャモ焼き、イワシ米糠漬け、タケノコと車麩の煮しめ、豚肉と蕪菜の照り焼き、(462) 冷やし中華

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2018/5/20の食事 】
妻と僕の朝食。


イワシの米糠漬は洗わないで焼いて十分うまい。油が落ちた頃上下を返すと良い。
タケノコと車麩の煮しめに少し手間取ったのである。鶏肉はぶつ切りにしておいたほうが良いかもしれない。



豚キムチを作っていたのだが煮しめに気を取られて、キムチを焦がした。
焦げたキムチを除いて、蕪菜を入れて合わせた。かぶ菜を炒めることはあまりない。バラ肉の脂が茎を柔らかくしてうまい。
オイスターソースと醤油で照りを入れて葉の方も少し熱を入れる。
アクの強い野菜であるが過熱がうまくいくと美味しくなる。



イワシも、シシャモのみんな食べた。妻の残した骨と頭も食べた。
イワシの米糠は洗わなかった。
焼いている過程でイワシの油が米糠に入り込み、独特の旨味を出す。下の方に脂は流れるので、焼いている途中で上下を返してやらないといけない。今度は生のイワシを買ってきて、家で粉糠に漬け込んでみよう。丁度、糠漬けも始めたところだから面白い。






父の朝食。
朝、昼は兼用にして、ヨーグルトを増量しようということになった。
少し、朝食と夕食の分量を減らしたほうが良いかなとも思っていたので、ちょうどよかった。

フルーツを切って、ヨーグルトの入れ物に入れる。
りんご1/4カット、キウイ1個ぐらいを入れておく。
2-3日に一回これを行うと、時間が節約される。





3日で2パックを食べる感じであろうか。
コーンフレークやドライフルーツをトッピングする。
この「うつわ」は母のお気に入りであった。
実家から持ってきた。





父の夕食を実家に持っていった。

鮭の刺し身、生ハム、冷やし中華のサラダトッピング、ハム、蕗、朝からの煮しめ

多彩なタンパク質を少しずつ。

食べだす頃に実家の方に顔を出していろいろと話をする。
嬉しそうに、「旨いがな」と言ってくれる。


うちに来て食べると、残さないで全部食べる。酒も3杯を超えることが在る。

実家で一人で食べると最近は半分くらい残す(冷蔵庫に綺麗にしまわれている)。
食べている頃、顔を出すと食べ終わっていることも多い。



もしかしたら家に食べに来ると、無理に食べているのかもしれないと思った。

食事というのは難しい。共生の要でありながら、強制の場でも在る。
父に食べることを強制しているのだろうか。
一緒に食べることが良いとばかり思い込んでいたが、そうでもないかもしれない。





かごに入れて持っていく。寝室で寝ているので、声を掛ける。
元気な返事が帰ってくることも眠そうな返事が帰ってくることも在る。

時間になっても来ない時は、呼びに行かないで、持っていくことにした。

食べに来たくなったら、その時はいつでも一緒に食べる。
僕の仕事は自宅でのソフト開発と食事研究、著作とブログ書き(笑)である。いつも父をまっていることが出来る。





たしかに前より散歩する時間は減ってきている。
無理に「散歩しろ」などとは言わない。

確かに「言ったことや、したことを忘れること」も多くなっている。
忘れているかどうかを質問はしない。

認知症かどうかをワザワザ試すようなことはしない。
覚えていないということは、そのことがその瞬間にその人にとって必要のないことだからだ。

僕らだって、いつも何かを忘れながら生きているのだ。





動けなくなってきたらそれでいいじゃないか。
覚えていることができなくなってきたらそれでいいじゃないか。

父は必死で、今の自分という現実に向き合っている。

認知症の薬というのは、必死で向き合おうとする力を奪う。
糖尿病(生活習慣病)の薬にもよく似ている。
アヘンや覚せい剤抗うつ剤は現実に向き合えない人たちのための薬だ。

母は、安定剤のためにたいへん苦しんだ。
僕は母の「安定剤中毒」に共に向き合って、自分自身の糖尿病とも向き合えたのだ。


僕らはいずれ死ぬ、それは仕方がない。
いつかは現実に追いつかれる。
しかし、勝てはしないが負けないで生きることは出来る。







なんで、毎年がん検診を受ける?
僕らは血液レベルでも試され、評価され、「自分は正常だ」と自慢させられる。

毎日、試され評価されて何が楽しい?
そのままでいいじゃないか?
しかし、食事が原因で自分に災厄が迫っているのではないかという恐怖が止まらない(毎日テレビやネットで煽られる)。

無論、臨床の苦しみは避けたい。早く死ぬのは御免こうむりたい。
しかし、いずれ死ぬ。
食事で元気に生きる方法が見つからないのだったら、「侵襲的医療」に苦しめられながら死ぬのはまっぴらごめんだ。



どうして70-80歳を超えても健康診断受けて薬飲ませられなきゃいけない。
若い人と同じ基準の食事を食べさせられたら検査値が正常のままでいられるはずがない。
身体の「細胞、組織や臓器」はぞれぞれ独立的に衰えていく、その衰え方に従って食事を調整しなければならない。



しかし、どう調整すれば良いのだろうか?
医学はあくまで「経験の集積」の学問である。
経験(患者の観察)から、「ヒト」という普遍的な概念を導き出して、誰にでも効果のある「薬」を処方する。

しかし、2つと同じものがない私達の身体に最適な食事(薬・処方)など見つけることが出来ない。



それは家族の役割なのだ。




僕の一杯目麺が少しなのが可愛い。
お代わりをするたびに少しずつ食べる。
やっぱ酒を飲むと炭水化物も食べたくなってくる。
3歳時の自分に戻る。辛抱たまらん!










妻は少し麺が多め子供は普通に一人前。
好きなものを選んで麺の上に乗せる。
今日はしなかったが、茹でた鳥も美味しい。
自分なりに炭水化物を選べて、組み立てることが出来る。
みんなで一緒に食べることができて嬉しい。





煮しめが少し残っている。
これは全部僕がもらった。




3人前の麺を茹でてザルにおいておく。
自分でよそって、好きな量を食べる。


トッピング軍団
モヤシ、キュウリ、カイワレ、レタス、新玉ネギ。
冷やし中華にしたのは新玉ネギがあったからである。
スライサーで薄くして水にさらして置くと嬉しい。




シシャモの網焼き。このくらいの大きさが魚臭くない。
内臓の液体が上手く飛んでくれるのと、焦げない所まで加熱するのとの頃合いが難しい。
フライも天ぷらもいいが、冷えた時に「生がえる」のが辛い。
シシャモは仕立て直しが難しい。
セロリはスティクに切って冷やし中華に使う。




奥は十全茄子の糠漬け、手前は朝採った庭の蕗を下茹でしないでそのまま炊いた。
ハムは冷やし中華の必需品。




あ、「薄焼き卵」作るの忘れた。

戦い済んで後片付けである。
ここからが長い。
明日の朝はまた元気に働き出すのだ。

家族にあった食事はお店には売っていない。


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先日、テレビで「はなたかさん」とか言う言葉を知った。
全くああいう「知識比べ型」のバラエティというのは嫌になる。
台本読んでいりゃ誰でも司会者になれる。

クイズダービーあたりから始まったのだろうか。
はらたいらさんに10,000点」とか言って分かるかなあ〜

知識でヒトを格付けして何が楽しい。
誰でも、なにかに一生懸命になれば、詳しいものは在る。
それを評価しないで、くだらん単語の意味を知っているかを競わせる。


しかし、不愉快になった。
法律関係の単語を僕が分からなくて、妻に笑われたからであろう(涙)。

ああいう番組は、実生活の中で自分の周りにいる「優秀な人=自慢コキ」をばかにするために在るのかもしれない。
自分の知っている事が出てくると誇らしげに答えを言うのは何故だろうか?
そう考えるとちょっと恥ずかしい。