幸運な病のレシピ( 432 )昼:蕎麦セット、半額天ぷら、ビンチョウマグロソテー、カレイ煮つけ

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2018/5/3の食事 】


僕は蕎麦一杯で血糖値がとんでもなく上がる。
食べ初めが高ければ簡単に300mg/dlを超える。
けど蕎麦は大好きである。
なのでときおり食べる。
食べる楽しみを諦めないことが大事なのである。
人生はガマン大会ではない。
けど、嗜好品は程々に。


蕎麦というよりも、いろいろな具を乗っけて食べている。
今日は150gの蕎麦を茹でてひと巻き余った。
妻80g、僕30g、残ったひと巻きはおやつに食べた(笑)。
血糖値は2時間後で160mg/dl程度である。



漬物や、天ぷらが満載である。
天ぷらも小麦粉なのだが、まあ、完全に炭水化物をカットなど出来ない。

ビンチョウマグロのソテーが嬉しい。
半額で、一切れ30円である。




食事が終わったら、残ったものは夜に回る。
今日はいろいろとあるので、汁を作るくらいだろうか。
そばも少しあるし、カレイの煮つけが父には嬉しい。

夕食用のカレイの煮つけである。卵が嬉しい。多彩なタンパク質を取ることが出来る。





夜は麻婆豆腐作った。
ネギたっぷりである。
ピーマン肉詰めの余った分である。




父の夕食。お皿の料理は、昨日からの残りである。麻婆はスパイシーだが、好んで食べてもらえる。
刺し身は閉店2時間前割引で買ってきた半額の作取りしたサーモン、ホタルイカと貝は今日で終わり。
焼き魚2種、煮魚1種(魚卵)が嬉しい。「ひじき」はお惣菜の20%off品、ほどほど美味しい、結構助かる。



多彩なタンパク質を少しずつ。
全体を食べるように心がければ脂質はついてくる。

「米・パスタ・ウドン・蕎麦・アルコール」嗜好品は心には良いけど、体内で脂質に代謝される。
程々に楽しみましょう。



今日はみんな遅い。



妻が帰ってきたので、丸茄子とブタバラの味噌炒めを作った。
プチトマトと麹付けを出して食べた。
妻はカレイの煮つけを少し食べ、残りを僕が皆食べた。
麻婆は、豆板醤を別なメーカーに変えた。やたら辛くなって、驚いたが、美味しい。
残さないで食べてくれた。


丸茄子とブタバラの味噌炒めは、丸なすが出始めると母が良く作ってくれた。

丸なすは、皮は硬いが身は柔らかい。それが一度に美味しく変身する。中の柔らかいところは味吸って硬い皮は茄子っぽさを残す。豚バラの脂が味噌と酒に乳化して美味しい。



丸なすが出始めると、母はこの料理を作ってくれた。
ピースター鍋」という鍋の蓋側をフライパンにして、胴の方を蓋にして弱火で蒸し上げる。
胴の方を開けると蒸気が出て、映画で見るレストランのシーンみたいだと思ったものだ。



母は、魔法使いだった。僕は不肖の弟子。
僕は糖尿病になり母に心配かけた。


母はいく種類もの薬を飲んでいた。
亡くなるまでの3年位、料理を作れなくなった父母のために毎日料理を運んだ。

やがて、徐々に薬から離れて過ごせるようになった。
亡くなる2ヶ月くらい前には何も必要なくなっていた。

妻には「あなたが一番の薬だ」と言われた。
しかし、魔法は死を遠ざけはするが、打ち負かすことはない。
眠るように亡くなった母を思うと、これでよかったのかとも感じる。

人生は順番だ。
そして、順番の神様は不公平だ。





疲れて帰ってきた妻と食事をした。
美味しい美味しいと行って食べてもらえる。

口に合わないと残すので分かる。
残されれば、何が悪いか考えて改善を図る。父も時折料理を残す。
残されたものを見ては、身体の調子を考え、次の食事の一皿を変える。変わり続けようとする努力が明日の料理を作ってくれる。

家族には、それぞれの現実があり、向き合っている。そしてそれが食事に現れる。

いつまで料理を作っていれるだろうか?
幾度も鍋を炭にした母の晩年を思い出す。


時折、無造作に「この料理の何悪い」と言われては、喧嘩になる(笑)。
1時間立ちぱなしで料理を作ってくたびれている所で「無造作なダメ出し」を謙虚は聞けないものだ
料理を作ってくれる人は「召使い」ではない。昨今のグルメ番組は不愉快千万である。



「料理を残す」のに理由は必要ない。
口をつけて、ただ残せば良いのだ。
いらぬ評論は逆鱗に触れる。



ヒトの口はそれぞれである。
料理は恐るしく複雑な作業である。「火加減、食材の選び方、包丁の入れかた、味の付け方、」何かが気に入らなくとも、食べたくはない。
そして、体が求めるものはみな違う。季節やコンディション、味の感じ方も年齢や経験で変わる。


「好き嫌い」は生命を維持するためのルールなのである。



僕が一番嫌いな言葉は『残さず食べなさい』である。
教育の現場で、よく聞くが、家庭でも言われる。
「給食食べ終わるまで昼休み残される」可哀想な子供はまだいるのだろうか?
あれは拷問であり児童虐待である。





「残さず食べたくなるような食事」を作ればいいだけのことである(笑)。
しかし、難しい。
「現実」に向き合える力は皆ひとりひとり違うからである。



何年も一緒に食べていてこそ初めて、この季節には何が美味しいと思ってもらえるかがわかる。
料理を作っている時に、家族の中の「森羅万象の神々」がささやいてくれるのだ。
食事は「神々の交流の場」である。(ハグやキスや交尾と同じく......)




一生懸命作っても、「まずい」「ヘタだ」と怒られるくらいなら、「お店で買った弁当」をチンして食わせたくもなる。
いつくらいから、誰かを家に呼んでご馳走作って振る舞うことをしなくなったのだろうか?
いつくらいから、近所に作ったものをおすそ分けしなくなったのだろうか?







朝夕の食事はうまからずとも誉めて食うべし
元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい

伊達さんは良いことを言う




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