ATP栄養学 (1) 「カロリー栄養学」批判 はなぜ現実を説明できない「栄養学」が政治的に正しいのか、「スターリニズム的栄養学批判」

栄養学に限らず、「科学」は現実を適切に説明して、未来に来る災厄に備えなければならない。

これは、学問というものが「つつがなく生きたい」と言う望みを実現するためのものだからである。


生活習慣病」と一括して呼ばれる「病気」がある。
かつては「成人病」と呼ばれていた「病気」であるが、今では年令に関係なく起こるものである。
そして「生活習慣病」という名前は「原因」が特定できていないということを表現している。


僕はこの生活習慣病を3つに分類している。
1 ) 細血管系(糖尿病系)
眼底網膜症、腎臓疾患

2 ) 大血管系(高血圧系)
脳溢血、心筋梗塞動脈硬化心不全

3 ) 免疫系(認知症系)
ガン、アルツハイマー、パーキンソン、認知症、肺炎、壊疽
痛風骨粗鬆症リュウマチ




従来の医学のアプローチ
従来の医学のアプローチは大きく区分して2つである。
A ) 不足を見つける(ガンで言えば、ビタミンCの不足がガンを生んでいる)
B ) 原因物質を特定する(ガンで言えば、発ガン物質やウイルスがガンを生んでいる)

しかし、これらのアプローチは問題を解決するには程遠い。



僕の専門である『コンサルタント(問題解決)』には有名な言葉がある。
「現象が治らないのは、対策が誤っている証拠」というものである。
未だに、「医学の専門家」たちは同じ試みを繰り返している。
毎日のように「最新の研究結果」では、「新しい原因」が見つかっていく。
多くの研究機関や大学では、何らかの結果を出さねば給料がもらえないからである(笑)。




確かに、「患者の調査・薬剤の影響の調査」では多くのエビデンスが見つかり、彼らの仮説は「間違い」ではないと証明される。

しかし、彼らの言うところのエビデンスとは、異なった患者の集団に、何らかの試み(投薬や治療)を行った場合と、しなかった場合を比較して影響の有無をみるというだけである。

ある患者に対して、何らかの試みを「した場合としなかった場合」を同時に確認する方法はない。

いい例が僕の場合である。「眼底網膜症」で失明するとあれほど明確に言われたのに失明していない。
これは、僕の生活のせいなのか、眼科医が嘘ついていたのか、何が原因なのかわかりはしない。

ある瞬間のその人がそうなっていることには、何らかの原因が存在するであろう。
しかし、それ以外の無数のパラメータ(人生の選択肢)はすくい上げることは出来ない。
確かに数十万人の比較検討は統計的に有意義な差をもたらすかもしれない。
サンプル数をいくら多くした所で、その試みが、僕に効果があるかどうかの確認はできない。
人の身体の複雑さはを分かっていない。




私たちは、「生活習慣病の恐怖」から逃れることは出来ない。ますます、恐ろしさは増し、クスリは売れる。



恐怖は人を殺す。私自身、眼科で失明の危機を宣告され、苦しんだ。
まだ、恐怖は続いている。
しかし、「糖尿病」で幸運だった。「自分の生活」を数字で評価できる病なのだ。
そして、2015年4月からつらい日々から、多くを学んだ。


様々なサプリメントを試してみた。果たして、そのおかげなのかは分からない。
しかし、効果あるなしにかかわらす、今の僕を作っているのは人生の全ての瞬間である。
僕は、身体のパーツが集合してできているわけではない。

たゆまない選択の分岐が不可逆な変化を生み、毎瞬間変わっていく。
DNAはあくまでタンパク質の設計図にしか過ぎない。人生の設計図ではない。いくら解析しても、現在の状況をそこの見つけることは出来ない。
「設計図」という言葉に私たちはごまかせれてしまう。

「DNAゲノム」は状況に対しての反応のプロトコルであると考える。


卵子精子が出会った時点から分化が始まり正確な数はわからないほどに多く別れ、同じ細胞は2つとしてない。
そして、その生き物の内側や周辺には、もっと多くのマイクロな生命が存在している。
そして、それらの「マイクロバイオームと私細胞」は同じプロトコルを持ちながら代わり続ける。




健康は他人任せにするべきではない。
自分で、直面している現実と向き合う他に道はない。







僕の栄養学(「ATP栄養学」と仮称する)には2つの柱がある。

1つ目は「代謝を重視した食事-生活分析」である。
皿の上の熱量分析ではなく、体内で「食事」がどう変化していくかを重視する。

食事は、ジューサーにかけたように均一に液体に変わり、腸壁から選択的に取り込まれ、体内に均一に広がる。

そしてその均一な液体を全身の細胞が様々な状況下で化合物に変えていく。
複雑な分子から単純な分子にステップを踏んで変化していく過程で「ADP+P=>ATP」が行える。
これ(ATP)がエネルギー物質なのである。
決して燃焼しているわけではない。

肝臓でブドウ糖を作り全身で使う。そのために体重が減る。
脂肪のエネルギーとしての評価(1kg7000kcal)が高い所が問題なのである。
代謝の状況によって、その数字は変わるはずなので、それを理解しなければならない。

そして食事が身体を作っているという事を重視する。




もう一つの柱は「心=依存」の問題である。

つまり、○☓採点方式の『食事指導』が変わる必要があるのである。
役人仕事としてマニュアルに従った「説教」は患者を救わない。
ヒトは知識では変われない。

炭水化物にしても、酒にしても、SEXにしても、薬物にしても、ヒトという存在の根源に関する問題である。
役人のマニュアルに捉えることが出来るものではない。



『教育、介護、食事、恋愛、政治』いずれも他人任せに出来る問題ではない。







糖尿病を宣告された1992年当時(プログラマの)僕はシステムを組んだ。
栄養管理(カロリー計算)ソフトである。




========この項目は続く==========


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