幸運な病のレシピ( 213 ) 朝 : キャベツ炒め、みそ汁、ピースター鍋の思い出

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今日の打ち合わせのために、早めに起きて仕事していたら腹が減って仕方がなくなったので朝食を作った。
野菜を炒めて、卵でとじるのは晩年の母の料理である。
キャベツやモヤシを炒めた時の汁を卵で吸わせるのである。



昔から、色々と凝ったものを作るのが好きだた人だが、80歳を過ぎて、徐々に難しいことができなくなった。
夜に料理を持って、一緒に食べに行くと、母も料理を作っていた。
細長い蕪の絵が書かれた少し深い皿に盛り付けていたものである。



ピースター鍋という面白い形の無水鍋(フタがフライパンになる)で、作っていた。
素朴で、なんとも言えない味わいがある。
やがてその料理も作れなくなり、何度か鍋を炭にして、ガスコンロを電磁調理器に替えた
僕が食事を皆作るようになるが、ご飯を炊くこともできなくなっていった。
そのことを思い出す。



父の朝食


僕の朝食昨日の残りのサンマの開きと餃子1つに、炒めである。

なんかヤキソバに見えるなあ。
当然ご飯などの炭水化物は取っていないが、満足である。

ピースター鍋というのが正式名であるかどうかはわからない。僕が小学校の頃からあった。無水鍋として使える。蓋の部分にはプラスチックの取っ手が有った。物凄く厚手のアルミのような素材(ステンレスではないが、アルミの安っぽさがない)である。昔のものは良いものが多い。煮しめなどにも使える鍋底である。思い出の鍋である。







ピースターが関西軽金属工業株式会社さんの作っていた鍋だということを知った。
名前の由来を読んで涙が止まらない。戦争で兄弟を失った母は知っていたのだろうか?
特攻隊から生き残った父は何を思うだろうか?


私たちの主力ブランドである「ピースター」は、英語で表記するとpeacetarとなります。なぜ、語尾が「ter」ではなくて「tar」なんでしょうか?

ピースター
1945年、第二次世界大戦で原爆が落ち、焼け野原になった広島の地で生まれたピースターブランドのお鍋。敗戦した当時の日本で、平和の星(peace + star)になってほしいという創業者の思いから名付けられたのが「ピースター」という名前です。

そして1970年頃から発売した画期的なピースターブランドの圧力鍋が大ヒット。ゴールド色の圧力鍋はピースターの代名詞となり、30年を越えて今でも現役で活躍しているご家庭がたくさんあります。

「ピースター」は誕生から65年が経過した現在も、高品質、高機能で丈夫なアルミ鋳造鍋で日本の主婦に愛されるブランドとなっています。
これからも、皆さんのご家庭でたくさんの笑顔が生まれるような、そのようなブランドでありたいと願っております。

鍋は平和の象徴だ。


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