幸運な病のレシピ( 116 ) カレイと里芋、豚肉と里芋、みそ汁に里芋、秋は里芋の季節

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庭先の里芋がそろそろなので、妻が貰った里芋から食べることにした。皮をむくのが苦手であまり作ることもなかったのだが、最近はよく作ることが出来る。糖質制限者によればNG食品なのだろうけど、里芋は旨い。沢山食わなければ良いのである。



汁やみそ汁に入れると里芋は独特の面白さを出す。
新潟の「のっぺ」と呼ばれる料理はその美味しさが出る。
以前、料理屋さんで食べたときに、あの独特なトロ味と言うか何というか、あの感じがなくてがっかりしたことがある。
妻の実家では、乾燥ホタテと鳥がメインだそうだ。
確かうちもそうだった。

僕は牛肉が入ると好きだ。多分中華の味だろうか?

無論、みそ汁も旨い。


ヤナギカレイやマコカレイと言った小型のカレイはよく煮ていた。
母は、歯がなかったので毎朝これを食べていた。ほぼ毎日、亡くなるまでの2-3年間、毎朝作っていた。
あとはイカの柔らかく煮たものである。
持っていくと父が骨から身を外して皿に取り分けていたものだ。

母が亡くなってから、どうも作る気がしなかったけど、作った。
今日は、インゲンと里芋も一緒に炊き込んだ。

母のことを考えると「三色汁」を毎日作ってあげればよかったと思う。
ヨーグルトにもっとフレッシュな果物を入れてあげればよかったと思う。

家族は料理を記憶して、料理は家族を思い出させる。
次の本の主題である。

最近は涙もろくていけない。


残った里芋は豚肉と炒め煮をした。
なかなか美味い。
ごま油を利かせた。










妻の食事、今日も仕事である。
息子はあたふたと模試に出かけた。



父の食事
早めに持っていくと食べてくれる。
昼も早くなり、夜も早くなる。
いい傾向だと思うのだが、どうなんだろうか?




僕の食事
昨日の残りと一緒にキャベツとトマトと食べて今日の朝食である。
1時間半(9:00)時点で血糖値は148mg/dlである。
3時間(10:30)時点で117mg/dlいい感じである。

食事前を図っていなかったが、許容範囲内である(笑)。

何よりも、「美味しくて、満足して、楽しい」事が大事である。


ブドウ糖は体内で脂肪に代謝される。僕は、ブドウ糖を脂肪に隠せないので血糖値が上がる。
僕の血糖値が上がらない食事というのは、普通の人にとっても、体内の脂質が高くならない食事なのだ。

考えても見るが良い、デブでなければ生活習慣病にならないか?肥満と言うのは単なる一つの検査値でしか無い。「.....でないこと」は安心できる指標ではない。

「ガン・脳卒中心筋梗塞痛風リュウマチ・骨粗相症・アルツハイマー認知症・パーキンソン」の傾向においては、肥満はメインのプレイヤーではない。

皿の上の脂質ではなく、体内の脂質が問題である。この状況に向き合うには、『維持できる自分の正しい食事』を見つけなければならない。



糖尿病の主たる合併症である「眼底網膜症・腎不全」に関しても、『糖尿病でない人』もなる。

「糖質が血管を傷つける」というバズワード(曖昧な感情表現)は物事の本質を見失わせる。「強くてしなやかな血管(笑)」を作る医薬品やサプリメントを売るには良いだろうが......
血管自身が細胞で出来ている、そして細胞は脂質の膜にタンパク質が埋め込まれている。そして、その機能不全が問題で、単に血管の問題ではない。
血管は鉄でできたパイプではないと言うことはどうすれば説明できるかなあ。

考える血管―細胞の相互作用から見た新しい血管像 (ブルーバックス)

考える血管―細胞の相互作用から見た新しい血管像 (ブルーバックス)



僕は一部の異端的な医師が主張する考え方が正しいような気がする。
糖尿病の患者にこれらの病気が顕著であるのは「炭水化物」が早く満腹を与えるために「タンパク質や脂質」の不足が生じるために「痩せていない(健康的に見える)栄養失調」が原因であるというものだ。

何とも恐ろしい題名だが、医師の書いた本としては良い方の部類に入る(笑)。




図解 豊かさの栄養学 (新潮文庫)

図解 豊かさの栄養学 (新潮文庫)


丸元淑生さんは巨人である。
いくら僕が頑張っても彼の手の中にいるような錯覚に陥る。
体系的に論じたいと思うが、難しい。

無論時代の限界はある。
ビタミンに重きを置きすぎたり、特定の食品を推奨したりは今の僕とは考え方が違う。
また、DNAゲノム解析(2000年)以前の研究者であることは勘案しなければならない。

しかし、その点を差し引いても実に素晴らしい著書を多くお書きになっている。
僕の長い旅の第一歩だった。

実際に料理を作らなければ意味がない事に気が付かせてくれたのも、家庭の崩壊との関連や社会構造の変化(グローバリズムの問題)に気が付かせてくれたのも丸元淑生さんだ。

まだまだ頑張らなければ。



しかし、これは診断も、対策も難しい。
20年かけて現れる欠乏症にどう向き合えば良いのだ。
自分自身という「同じものが2つとしてない海」とそう向き合えば良いのだ?


「栄養(普遍的に正しい食事の指針)」という概念では向き合えないようなきがする。
「栄養サポートチーム」(NST)なんかにも随分期待したが、色々と考えていくと難しい所が見えてくる。

まだうまくかけないが表現できるようになったら次の本を書こう(笑)。

まずは実践している毎日を記録して、いろいろな人と対話していこうと思う。

何よりも、この生活は美味しいし、楽しい。







久しぶりにエスプレッソマシンでラテを作った。

ハロウインのような顔ができた。


喧嘩したわけではないのだが、時折エスプレッソマシンを使う。

古来、新潟の北部では、夫婦が喧嘩した翌日の朝は「夫がこれを作り妻の怒りをなだめる」習わしであるという。



ここ1週間の悩んできたことが5時間ほど前に解決したので、今日はソース(プログラム)書きである。
うまくいくと良いのだが。

午後まで晴れていたら、裏庭の柿取りである。


少し曇ってきた。

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