「人生痩せたり太ったり(仮題)」のコンセプト(2) 『食卓は、権力の場』ゲストは、ホストに食卓で支配される。

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カメラ壊れた、新しいカメラは安いのにいいなあ。昨日から使い始めている。



今日の父の夕食である。

多彩なタンパク質を少量づつ。
野菜は重要だが、メインプレーヤーではない、マヨネーズを食べる。
ご飯は最後に少しだけ。

食卓では、嫌な気分にならないように会話を気をつける。
心が食べるのだということを考える。
喧嘩はしない、強制しない、無理強いをしない。

美味しくなかったら、残してもらう。
殆どの場合、父は汁や味噌汁の具は食べるが、液体の分は残す。

父と食事をしながら、次の本のコンセプトの一つが見えてきている。


『食卓は、権力の場』ゲストは、ホストに食卓で支配される。

なんとも、恐ろしいものである。

しかし、家庭では思春期・反抗期の子供は親と一緒に食事をしたがらない。
夫婦喧嘩中の妻との食事を夫は避ける(一般的な家庭では妻は食卓と厨房の支配者である)。
他人の家に御呼ばれに行ったら残さず食べるのがルール。

しかし、コレにはわけがある。
食事の作法、厨房の作法は捕食のルールでも有る。
命にかかわるのである。
美味そうだからと言って勝手にフグ食ったら皆死んでしまうからね。
家庭や地域のコミュニティというのは私達の身体の延長であり、記憶の装置なのである。



そして家庭が崩壊してしまった今、「食」の記憶を失った私たちはメディアの健康情報にアウトソーシングしている。
もう戻れないが、同じ価値を信じる人達のつながりを作る必要はあるだろう。







今日は、散歩にタバコを買いに近くのドラッグストアに行った。

疲れると言うが、こんなに暑い日に歩くのは僕でも疲れる。

牛肉とゴーヤの炒め物の苦味が嬉しい。




手羽塩麹漬けである。
ほぐして、父の皿に乗せた。
結構旨い。



ブリカマのオーブン焼きの醤油テリテリである。
目玉の奥のゼラチンなど、美味しいので、父に取り分けた。
結構旨い。





シュウマイ的茶碗蒸しである。
エビを入れて、ひき肉とネギとこねて、蒸したものである。
なかなか難しい。


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