松居一代さんに関する社会の反応を考える (1)概論

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このページは書きかけである。あまりマスコミネタにはコメントしづらいが、松居一代さんの子供がアトピーになった時の本を読んで、ああ、この人も「権威」を恐れない人なのだなあと思ったので少し書いておきたい。



松居一代さんの「暴走」と多くのメディアは取り上げるが、僕の目にはそうは思えない。



誰かにひどく傷つけられて、その相手が知らん顔し続けたとき、こういう事になる。
自分が深く傷ついている事を伝えるために行う自傷行為、殺人、犯罪、いずれもその人の内面を想像するのは難しい。

松居一代さんだけでなく、泰葉さんなども同じである。
友人に彼が離婚した時の話を聞いた。
彼も元の妻が許せなくてかなり苦しんだと聞く。
そしてある瞬間、もう苦しまなくなったそうだ。

寛解(悪くも良くもならない)』と言っていいと思う。新しい状態に落ち着いた時に起こるのだろう。


最近何冊かの「生化学」の本を読んだ。
一定の割合で化合物が混在しているように見えても、目まぐるしく変化していながら状態が維持されるという。






精神医療の本をかなりたくさん読んだ。

心の病は、「受け入れがたい現実に対しての自然な反応」という言葉が好きだ。
なぜ、受け入れがたい状況がこれほど早いサイクルで押し寄せてくるのだろうか?
社会のイノベーションのスピードが早く、人の適応がついていかないのである。
僕の人生は転職ばかりである。
父の人生は50年間一箇所の会社に勤務していた。
まさに対象的である。
いつも考える。




二人(だけでなく泥沼化している離婚劇)に共通するのは、『仲良さそうに見えて実は泥沼だった』というインサイドストーリーである。

おそらく、関係性の中に亀裂が入り始めてからこじれ始めたのだろうと思う。
これは僕の体験からも分かる。

トラブルになった時に片方が謝るが、容認できない謝罪である場合だ。
謝罪とは言葉で「ごめん」と「謝ること」ではない。
同じことを2度と繰り返さない約束であり、それを守る生き方である。

ところが、そうではない人種も居る。
怒り出したら「ごめん」と口先で謝り、同じことを繰り返す奴らだ。

謝罪したのだからもう終わったことだとうそぶきながら相変わらずにヒトを傷つけ続ける。


問題はその人間の間に、何らかの関係性(利害関係)が存在し続ける場合である。
他人ならば、問題はない。

そうでないところが問題である。

前述の二人共に相手の完全な破滅を望んでいるように見える。
さもありなんと思う。





学校で生徒が自殺した時に、私たちは逃避だとか、弱虫とか言うが、そんなもんじゃない。

自殺は、最大の攻撃なのだ。
殺人も、自分を傷つけた連中へのかなりの攻撃だが、成功する確率は低い。
何せ相手も命がけである。

十分に今まで苦しめた相手を貶めることができる準備をして自殺しなければならないがなかなか用意周到に自殺はできない。特に、親に発見される可能性が高い時に親を告発する遺書はどうすればいいのだろうか?






今は自爆テロの時代である。他人を傷つけていることに無感情になっている社会の病理である。

まあ、人殺すよりもyoutubeにアップしたほうがいいね。







そしてこの問題に関しての社会の受け取り方は興味がある。
明らかに、「松居一代さん=精神病」と考えている人が多い。
自分に理解できない行動を取る人に「精神病」とレッテルを貼り排除するのは今に始まったことではない。



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