インスリン注射「トイレで打って」 理解進まぬ教育現場 教育現場だけの問題ではない

教育現場だけの問題ではない事を十分わかっていなければならない。センセイを責めてもしょうがない。

とは言っても、新聞が記事にしたのは、良いことである。



そして、現実の社会において、トイレで(人に見られないように)打っている人は多い。〚 1 〛 〚2




恐ろしいのは、担任に言われなくても自分からトイレに行って打っている患者を作り出す空気である。

正直。こういう先生(多くの私達)は、自分の意識を周りの雰囲気と思い込み、「皆そう思っている」と誘導するのだ。まさに、イジメは先生が生んでいる。

「理解進まぬ教育現場」と言うと、まるで「教育現場」以外では理解が進んでいると思われるではないか?もしかしてそう思っているならば、大きな間違えである。



しかし、この「センセイ達」は、その生徒を可哀想と思わなかったんだろうか?

『人が食事しようとしている所でそんなことされちゃあ、食欲が失せる』から見えない所で打てと言わんばかりである。
僕は、自分が糖尿病であることを話して、炭水化物を(積極的に)食べないが、同席した人間の反応はバラバラで面白い。

露骨に「糖尿野郎」と罵倒されることもある。







インスリンを使っている人の手記を読むと感じることである。
この人は勇気がある。先生がそうしろと言っても、それに異を唱えたのである。

彼の孤独の闘いを考えると涙が出てくる。





この記者が(と言うか朝日新聞が)少しだけ勉強しているなと思える所は「I型糖尿病は自己免疫疾患が原因である」と書いているところだろうか。

「遺伝性の病気」ではないということである。
未だに糖尿病が遺伝の病気だと言われることは多い。
しかし、一般的な遺伝病は特定の遺伝子にトラブルが有りタンパク質を作れなくなっている場合を指す。
もし、そのような場合(先天的にインスリンが作れない)は、生まれて即死ぬ。生命にとってインスリンは『必須』なのである。


それまでは問題なく生きてきたものが、その時点で機能を停止するのである。

劇症型I型と呼ばれる40-50歳に発病する例や、年取って膵臓の機能が低下してしまう老人性糖尿病にも言及するべきだろう。


遺伝病であるという思い込みは、「自分は大丈夫」という安心感を買おうとする弱い心である。
犯罪者を見て、絶対に自分はそうはならないと思い込もうとする心と同じである。




残念な所は、II型を自分の責任のように書いている(...生活習慣と関係のある2型と異なり...)あたり、憂鬱になる。
確かに、僕は自分が無知で、おろかで、自分の食欲(欲望)に従って30代に120kgにもなった。
全て自分の責任であることは間違いがない。
しかし、僕にとってはその頃月に300時間残業して多くを学び今もプログラムを組んで仕事をしている。
大事な人生の一部なのだ。
あの苦しい時に、適切な食事を出してくれる社会があったら、僕はこんなにならなかった。


この記事では「生活習慣」と一言で切り捨てている。
しかし多くの家庭では共働きで、他に選択の余地がないような「カツカツの生活」を強いられている。
厳しい現実の中で皆生きている。


僕は「生活習慣病」は社会の問題だと思っている。



I型とII型の社会的な意味の違いは面白い。

僕はII型に対しての「蔑み」はある意味『病=天罰』という私達のメンテリティに起因すると感じている。
らい病に代表される病気に対してのメンタリティは研究するべきだ。










『15歳未満の年間発症率は10万人に2・25人』という表現を読むと少ないと感じる。
しかし問題は、どのくらいの人がインスリン治療をしているかである。
明確にインスリンでの「治療」をしているかという統計は見たことがない(患者数などはときおり見るがどういう統計かわからない)。

1980年台、インスリンは、十分な量が作られなかった。世界的な供給不足だったのである。
それが遺伝子組み換え技術で大量に生産されるようになる。

本来、膵臓の一部の機能が完全に止まってしまった人に対しての療法のはずなのが、一気に「高血糖」に対しての一般的な治療と変わるのである。

そのタイミングで、日本では、インスリンの自己注射が合法化される。
まさに、薬の供給が病気を作っていると言える。









何と戦っているかまだ見えないけど、まだ止められない。






アサヒ・コムより

インスリン注射「トイレで打って」 理解進まぬ教育現場 石塚翔子
2017年6月25日19時43分

 希少なタイプの糖尿病を患う愛知県の男子高校生は、体調管理のために必要な昼食前のインスリンの自己注射を教室で打つことが一時期かなわなかった。中学や高校側が禁じたためだ。トイレで打つよう指示されたこともあり、問題視した医師が先月学会の集会で報告。患者団体は、本人の希望を尊重すべきだと指摘している。

 愛知県の県立高校の男子生徒(16)は、名古屋市内の中学2年生だった2014年12月、病院で1型糖尿病と診断された。インスリン膵臓(すいぞう)で作られない病気で、生活習慣と関係のある2型と異なり、自分の免疫が誤って膵臓の細胞を攻撃することなどで起こる。15歳未満の年間発症率は10万人に2・25人とされる。

 高血糖が続くと将来腎不全や失明などの合併症が起こる恐れがあり、1日4、5回、注射などでインスリンを補い、血糖値を調節することが欠かせない。生徒は学校に事情を説明し、危なくないと考えて昼食前に教室で打つことにした。他の生徒も理解してくれた。

 だが、中学3年生になると新しい担任教諭から教室での注射を禁じられた。「トイレで打って」と言われたこともある。生徒はトイレはいやだと訴え、保健室で打つことになった。当時の教頭によると、学校側は安全で衛生的な場所として保健室がいいと判断したという。生徒は「隠れるようにして注射はしたくない」と思い、学校での注射を黙ってやめてしまった。

 事情を知った母親(46)が注射は危なくないと学校側に説明。主治医は学校に出した診断書に「注射は生命の維持に不可欠。場所を限定しないよう配慮を求める」と付記、市教委にも相談したが事態は改善しなかった。当時の教頭は取材に「今思えば注射と聞いて構えてしまい(本人やほかの生徒の)安全を考え過ぎた面もあるかもしれない。もっと本人の思いを聞いてあげたら良かった」と語った。

 生徒によると、高校でも教室で…



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