「代謝の栄養学」または「ATP栄養学」 カロリー栄養学へのアンチテーゼとして

国体の仕事の打ち合わせと、次の本の打ち合わせのために、東京である。


さすがに昨日は、きつかった。
朝というか真夜中の2:00に仮眠から覚めて
国体の資料や本のシノプスを仕上げて
6;22の新幹線にのって、11時から共同通信さんと打ち合わせて
飯(キヨスクゆで卵+チーズ)食う間もなく国体打ち合わせ。
17:30に終わった時は頭ガンガンで意識が朦朧だった。


そして、旨い酒だった。
いつものように絶好調である。


ポッケに唐揚げが入っていた。
血糖値が低い。





そして、今日も全力疾走である。







代謝の栄養学」とは食事を食べた後で食べ物が体になる過程を研究する。
皿の上の分析は意味がない。

この栄養学は、「人を幸せにする」という、「すべての科学本来の目的」を大事にする。

だから、強制や監視は目的にしない。


体内での役割は

P)タンパク質は細胞同士のコミュニケーションのプロトコル(言葉)である
細胞同士というのは「自分の細胞」に限らない。
ブタのインスリンが人の身体に作用することを考えれば分かる。
すべての生命は共通のプロトコルを持つ。

F)脂質は膜の材料であると同時に糖質の一時貯蔵庫である。

C)糖質はすべての生命のエネルギー生産の通貨であり、貯蔵される。
ADPとリンが細胞内にある時はATPのリサイクルをするが無い時は脂肪に代謝される。

糖質と脂質はタンパク質に結合することで、活性化の制御をおこなう。
しかし、それは、単純な化学作用でしか無く、擬人的な表現は慎まなければならない。



PFCの栄養素は「炭素」を中心とした化合物であり、互いに姿を変える。
姿を変える過程を代謝と呼ぶ。
消化の過程では出来る限りの最小単位に分解する。
これは、「他の生命(コロニー)の部品」を受け入れた時、受け入れ側の生命(コロニー)で誤作動させないためである。
ブタの膵臓食べてインスリンがそのまま入ってきて、低血糖になっては困る。

そのために、消化の過程では、最小の分解しか行わない。
多くの食物アレルギーは「他の生命の部品」が誤作動を起こしていると考えることができる。




代謝複雑系の反応であるために、単純な因果関係は存在しない。
食事調査などの結果は傾向を見つけることが出来るだけで、因果関係を証明はしない。
「ナラティブ」とは、このことに注目して、患者に対面することである。
しかし、「家系や家族、生活・心」を考慮に入れての向き合うことは出来ないことを肝に銘じなければならない。



「心」に向き合うことが出来なければ、その人は幸福にならない。
「心」は具体的な行動でしか他人にはわからない。
そして、社会(コミュニティ)は「価値の公平な分配」を目的とするために、貪欲を戒める。
肥満が非難される根源はここにある。


「人を幸せにする」というテーマは「その人の欲望の充足」が重要な鍵になる。
そして年齢とともに「望み」は変わる。



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父は毎日庭を眺め、鯉に餌をやり、先に逝った妻を思い、少しの酒を呑むことが望みである。
僕は、毎日一緒に食事をしながら「栄養学」ってなんだろうかと思う。
それは父だけのためではない、自分のためである。

いずれ年取った自分と向き合うことになる。その時のためである。





いつかここにはいるその日まで、全力疾走である。


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