医療のマクロとミクロ  複雑系においては、直線的な因果律は存在しないが、私たちは因果律を認識する。

マクロ経済学ミクロ経済学という研究がある。

経済学は人間を知るための学問だからヒト個人の経済活動を無視しては成り立たない。
個人の欲望があらゆる活動のものなのである。
そして、マクロは社会の枠組みである。
僕の大好きな浜矩子さんが言っている



マクロ経済学は、大きな成果を出している。
税金を投入すればそれだけ活気が出てくるという事だ。
まあ、考えてみれば、アタリマエのことではある。

ところが、ミクロ経済学は全くわけがわからない。
いろいろな研究があるが、どれも決定打ではない。
一人ひとりの購買行動の予測などということはできるはずがない。

逆に言うと、どの理論も正しいから厄介なのである。
観察に元付けばそうなるのは当たり前である。
しかしながら問題は、その理屈は、その事例にしか当てはまらないのである。


複雑系においては、直線的な因果律は存在しない』しかし、生活において、私たちは因果関係を認識する。







この区分(マクロとミクロ)を医療に当てはめると大変良く分かる。


食事指導というのはマクロな考え方である。
エビデンスがあり、それに従えば、ある程度の確率で不幸にならないとされる。
あくまで、遠い未来において「不幸にならない確率」の話である。

実際の食事は「ミクロの話」である。
その個人が何を食べるのかというのは、簡単には決まらない。
選択も入るが、決められた範囲での選択でしか無い。
何を食べるかは自由に決めているように見えるが、実際には自由に決まるわけではない。

この2つの間には大きな壁がある。




治療というか医療と言うかは別として、あらゆるヒトは、現実に向き合う時に常に傷つき、「治癒」が必要である。
そのプロセスや文化的な差を分析することがミクロのレベルの医療学である。
医療人類学という分野もあるが、そういう面からは分析されているのかなあ。





考えさせられる。



マクロ医療学は「エビデンス」を求め、ミクロ医療学は「ナラティブ」を求める。
医師はエビデンスを求め、看護師はナラティブを求める。
昨日の健康診断でそう思った。

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