ナラティブとは何か 「ヴィンセントが教えてくれたこと」から考える

- 作者: リタシャロン,Rita Charon,斎藤清二,岸本寛史,宮田靖志,山本和利
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2011/08/24
- メディア: 単行本
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (3件) を見る
僕は「幸運な病」の中で、治療コミュニティの重要性を書いた。
以前、ナラティブメディスンに関して書いたことがある。
ただ話した所で何の役にも立たないのである。
人は関係性の中で生きる。
自分が何者かは、誰が知ってくれるのだろうか。
昔は宗教など意味が無いと思っていた。神などいないと思っていた。
母が亡くなって、考えることが多い。
しかし、自分を知ってくれている誰かの存在を仮定することはできる。
コミュニティが成立するためには物理的な「ヒト」が必要なわけではない。
架空の「人」の存在を自分のコミュ二ティの構成員と考えることはできる。
つまり神と自分のコミュニティである。
あらゆる宗教や規律、道徳と言った強制力のない行動律はこの考え方で説明できる。
いろいろな人たちが、強制力のない行動規範に関しての議論をしているが、結論は出ない。
もちろん、ばれた時どうなるという意味の強制力はあるが.....
以前「コミュニティ」の定義を考えたのだが、この定義というのは、宗教の定義に当てはまるのである。
コミュニティは共通の利益の実現を目的とする。構成員はコミュニティにリソースを提供して、利益の分配を受ける。構成員は、「分配のルール、裏切り者への制裁手段」を共有する。
神様と自分のコミュニティを想定すれば皆納得がいく。
スーーパーエゴという言葉を思い出すが、少し違う。
「ヴィンセントが教えてくれたこと」を見て何度も涙が止まらなくなってしまう意味を考えた。
僕は、はまってしまうと全く駄目で、何本かの映画は涙無しで見ることができない。
そのうちの一本である。
誰も知っている人がいなくなり、自分が一人きりになった時にどんな気持ちになるのだろうか?考える事しきりである。
ヴィンセントはそんな気持ちに答えてくれる一本である。
884407