ナラティブとは何か 「ヴィンセントが教えてくれたこと」から考える

ナラティブ・メディスン: 物語能力が医療を変える

ナラティブ・メディスン: 物語能力が医療を変える


僕は「幸運な病」の中で、治療コミュニティの重要性を書いた。
以前、ナラティブメディスンに関して書いたことがある。
ただ話した所で何の役にも立たないのである。

人は関係性の中で生きる。
自分が何者かは、誰が知ってくれるのだろうか。



昔は宗教など意味が無いと思っていた。神などいないと思っていた。
母が亡くなって、考えることが多い。



しかし、自分を知ってくれている誰かの存在を仮定することはできる。
コミュニティが成立するためには物理的な「ヒト」が必要なわけではない。
架空の「人」の存在を自分のコミュ二ティの構成員と考えることはできる。

つまり神と自分のコミュニティである。
あらゆる宗教や規律、道徳と言った強制力のない行動律はこの考え方で説明できる。
いろいろな人たちが、強制力のない行動規範に関しての議論をしているが、結論は出ない。

もちろん、ばれた時どうなるという意味の強制力はあるが.....


以前「コミュニティ」の定義を考えたのだが、この定義というのは、宗教の定義に当てはまるのである。

コミュニティは共通の利益の実現を目的とする。構成員はコミュニティにリソースを提供して、利益の分配を受ける。構成員は、「分配のルール、裏切り者への制裁手段」を共有する。



神様と自分のコミュニティを想定すれば皆納得がいく。
スーーパーエゴという言葉を思い出すが、少し違う。




「ヴィンセントが教えてくれたこと」を見て何度も涙が止まらなくなってしまう意味を考えた。
僕は、はまってしまうと全く駄目で、何本かの映画は涙無しで見ることができない。
そのうちの一本である。




誰も知っている人がいなくなり、自分が一人きりになった時にどんな気持ちになるのだろうか?考える事しきりである。

ヴィンセントはそんな気持ちに答えてくれる一本である。


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