介護施設に務めている友人と話をした。

幸運な病に関しての議論を繰り返している。

この本を書き始めたときから、チームの皆とは具体的な料理の記述が必要だということでは意見が一致していた。
「血糖自己測定」と出会い、自分の体と向き合って変われた事が「幸運」の主題だとしたら、そのドキュメンタリーもあっていい。

今の僕にはアタリマエのことは、昔の僕には当たり前でなかったのだ。
いつジャンプできたのだろうか?





介護施設に努めている友人は、実に聡明で、僕の問題意識を受け止めてもらえている。
色々と話していて、気がついた。


「幸運」のベースコンセプトは「あの頃の僕を助けたい」だった。
糖尿病と医療に診断されても、自分で学び、自分を知ることで食事を変えて、「寛解」に至ることが出来る(運が良ければそばも食えるくらいまで戻れる)。

それを伝えたかった。

次の本は「これからの僕を助けたい」のだ。

そして「あの時の母」を助けたいのだ。
自分はどんどん年老いていく、周りを見ればどんな老人になるのか不安ばかりである。
いかし、不安に思わなくていい生き方があると思っている。





いまコンサルタントを幾つかしているのだが、介護施設の競争力をつけるためのノウハウをまとめている。
どうやら、それで良いのだ。

僕は「百年しばた」と言う運動を行っている。
自分が自分であるままに生きることが出来るのだろうか。
まだ少し時間はある。




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