「政治的に正しい栄養学」が私達を殺す。

今、新しい本を書いている。
構想(シノプス)段階なので、まだまだ時間がかかる。

なにせ、フツーに仕事もしなくちゃであるから大賑やかである。




「幸運な病」の各論である。

Part1 僕の食事
   これは血糖値データーからこのブログの過去の記事から、沢山のストックが有る。

Part2 僕の食事が健康に対して問題がないということ。
   多分これが一番の問題。
   話をすると皆にいわれる。

Part3 「栄養学(政治的に正しい栄養学)=カロリー栄養学」が問題満載であること
    医師・栄養管理士が準拠している200年前の栄養学
Part4 「代謝を軸にした=ATP栄養学」のこと
    分子生物学の視点からみた生命観

Part5 私達の行く末と文献案内

という構成になる。
見開きでワンイシューである点や判型はほぼ同じになると思う。



しかし、調べれば調べるほど、医師・栄養管理士が準拠している「栄養学」が恐ろしいものだとわかってくる。






もう一つ、なぜ、人は「自分食事を否定されること」に拒否反応を示すのだろうか?
「あなたに私の何が分かる」と感じるのである。
同時に、医師や栄養士に「いい食事ですね」とお墨付きを求めたくなるのである。
権威におもねる心と言うのは複雑な構造を持つ。




題名に困っている。

「元気な90歳になるための食事」
「あなたにしか出来ない、正しい食事の見つけかた。」
「最新の医学に基づかない健康法」
「うまいが一番健康法」
「昔ながらの健康法」
「検査値が良ければいいってもんじゃない」
「『政治的に正しい栄養学』が私達を殺す。」
「理想的な身体はどこにもない」



『書いていくうちにいい題名が見つかる』という『百戦錬磨ガガの法則』というのがあるので、安心である。



そして結論は、『他人は、自分の体を守ってくれはしない』ということである。




食事という言葉で、私たちは一つのイメージを持つ。
「完成された販売食品」は問題がある。





とは言っても、売れなきゃ作れないのよーん。




準備万端にあと少しである。






長い旅である。
ゆっくり進むことにする。


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