蔵王キツネ村に行ってから仙台城で伊達さんに会ってきた。

娘が遠くで一人暮らしを始めたので、妻が一緒に行って数日を過ごし、28日に帰ってきた。
息子が「蔵王にキツネ村」という、キツネ版サファリパークに行ってみたいと言い、行くことのなった。
軽自動車ではチト怖かったので、毎年、国体の仕事で借りているレンタカーの新発田店で車を借りた。
急転直下的な決断である。


6時に父の朝ごはんとお昼ごはんを用意して、実家において、マユにバイバイといって、朝7時に出発である。

磐梯山SAで食事をした。
息子と妻はラーメンを頼んだ。
フードコート系は炭水化物満載のメニューばかりなので、僕には食べるものはない。
しかし、旅では一緒に食事をすることは重要だ。

お店の人に、自分が糖尿病であることを告げて、桜丼(馬肉のうま煮の丼)の「ごはん抜き」をお願いした。
快く対応してもらえた。ご飯を抜いてくれて、キャベツに変えてくれた。嬉しかった。
おかげで家族で楽しく食事ができた。

どんな高級レストランよりも、美味しい食事だった。
食事は、人と人とをつなぐ大事な人生の一部である。
磐梯山SA最高である。少しぶっきらぼうに、温玉は入って良いのか、タレは良いのかと聞いてくれたおやじさん、僕は忘れない。ありがとう。

 
 
妻のラーメンのチャーシュウと数本の麺、丼に残る汁を貰った。やっぱ旨い。

当然、腹は減っているので、車に戻って、ゆで卵とチーズと、鳥の胸肉煮と鮭をモソモソ食べる(笑)。

40分後、血糖値は133mg/dlだった。僕の食事基準内である。


11時にキツネ村に到着である。

  

楽しかった。外国の方が多く、何とも言えない雰囲気である。

キツネというのは群れを作って生きるのだなあと改めてしった。
 
 
 
 




鳴き声って初めて聞いた。

御金神社(おこん)に賽銭を上げて来た。たしかに稲荷神社というのは民間信仰という面から見ると面白い。今度庭に建立するか。

 
 








12時に帰ることにしたのだが、仙台まで足を伸ばすことにした。
一度も行ったことはなかったが、伊達政宗さんは大好きであった。ここここに書いていた

青葉城に1時半に到着して、どこに行けば良いのか分からなくて、ウロウロしていたら、侍姿の人がいたので、声をかけたら、ガイドしてくれた。
素晴らしかった。




掛け声は「ずんだ餅」である。
伊達政宗さんが好きな食べ物だったそうだ。僕は伊達さんが大好き。
「幸運な病」が100万部売れるように、お願いしてきた。



 

家についたのは17:30で、食事を作り、食べた。
土産話を嬉しそうに父は聞く。仏前に「ずんだ餅」を持っていってもらった。
喜ぶ人の顔が見れるのは嬉しい。



帰路、お客さんからの電話に気がついて、飛び出す可能性があったのでビールはやめた。
結局、訪問は明日になったが、眠ってしまった。



一日、娘と父がいればなあと思った。
既に父には長旅は無理である。娘は遥かに遠いところでに自分の旅を始めている。あと2年で息子も遠くへ行く。

母はいなくなって1年が過ぎた。

『「ここにいたらいいのに」って思う人は. もう”家族”(by 机くん)』と言う言葉を思い出した。

一緒にいたい人を乗せるには修学旅行用のバス数台必要だなあ。
僕は幸せである。


母が亡くなってから初めての旅であった。
いや、もう少し前から、家族で家をあけるのが心配で出来なくなっていた。


旅の間一度も父のことを心配にならなかった。
回復の兆しだ。
人は、喪失の傷から癒える過程で新しい人間関係を築く。毎日がその繰り返しである。
自分が年を取り、できないことが多くなり、子供との関係も変わる。
当然、父との関係も変わる。

母との最後の数年間で多くのことを学んだ。
やっと、それが分かった。
ありがとう、母さん。




もう1冊本が書ける。
そして、書くことに決めた。

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