父と暮らす 朝食と干し柿のデザート 食事と人間関係
子供達が学校に行った後で、父が来た時は妻と、3人で朝食をとる。
最近は早く起きてくることが多い。
今日は、干し柿をデザートで食べた。僕も半分食べた。懐かしい味である。
そろそろ食べごろになってきている。
一つ仏壇に持っていって貰った。
妻と話したのだが、最近、父の様子が変わったのである。
前は、なにか話を振っても「知らない、忘れた」という答えが多いのだが、最近は考えて答えを見つけるようになってきている。
数年前から、東京に済む縁者(もう縁を切った)には父母を施設に入れて認知症の治療を始めろと言われていたが僕は絶対に入れない。
昨今、認知症と言われると施設に入れられるか精神病院に入れられる。
私も、怒りっぽくなっているのは「認知症」が始まっているからだと言われた。
精神病院に措置入院させろと妻は言われた。
そうかもしれない。確かに、人を殺す夢を見て夜うなされるのだからなあ。明け方に、土足で人の家に怒鳴り込んでクソ野郎を追い回して殺すところだったのだから恐ろしい。母の父親(笹川三作さん)、が市会議員の時に。都市計画を邪魔する地主の手足をノコギリで切って殺してやるつもりで殴り込んだことがある。恐ろしい人もいたものだなあと思ったが、自分が同じ事するとはなあ。僕は母の子で、母は三作さんの子供である。この話はいずれ詳しく書きたい。
父に運転を止めてもらう時大変苦労した。
母は精神安定剤の中毒になってしまった(東京に済む縁者のせいである)。
そこから一緒に頑張って脱するのにの必死だった。今でも原因を作ったバカ野郎のことを考えると腸が煮えくり返る。ノコギリ持って出かけるか。
その経験からわかることが一つ有る。
周りには理解不能な行動も、本人の中では理路整然としているのである。
僕は父母と暮らす時に、とにかく理解しようと必死だった。今は、父との関係は良好である。
遅くても5時半位までには起きて、朝食の準備である。
子供達は8時には学校に向かう。
朝作った残りが、僕と妻の朝食となり、昼食となる。鮭は必ず燒く。タンパク源として優秀である。
味噌室は、火を止めてから葉を話す。今日は小松菜を一把使った、茎は豆腐の直前に入れて、冷えお通して、葉はできるだけ生に近い状態で食べる。
最近は野菜を炒める。僕の朝食にはゆで卵化チーズが着く。大事なことは満足することである。
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