喪失と治癒 (1) 薬に頼らない介護、精神医学

最近、精神病のことを勉強している。
結構、糖尿病の治療とも共通する物が多い。

今度、この本を買う。

きっかけは、私を精神異常だと言う人間がいるからである。
確かにそうかもしれない、かなり深刻な夢を見る事があった。

それが、あることがきっかけで、夢を見る事がなくなった。
後日、ゆっくりと書くことになる。


しかし、日本での精神病の臨床は最悪のようである。
5分診療して、薬漬けにしてハイおしまいなのである。(糖尿病の診察とそっくりである)
拘束入院+薬漬けの現状は多くの医療関係者が指摘している。
実は韓国でも同じようで、数年前から指摘されている。韓国の現状はこちらのブログに詳しい。
まあ、強制入院させれば資産や遺産は残った連中で使い放題だからなあ〜


数年前に随分介護のことを勉強した。全く同じ状況である。

治療という名で恐ろしいことが起こっているのだ。

私達は、人生で得たものを「喪失」していく。
人生は「苦痛」の連続であるが、その最たるものは「喪失」である。
年をとると、得るものよりも失うものが多くなっていく。
さっき迄出来たことができなくなる、さっきまであった物を失う。


若いうちにも、(その人にとって)大きな意味のある物を失うことがある。
いずれも、辛く悲しい。



精神病院と、介護施設は、似ている。両方共、『「喪失」して、傷ついた人』を社会から排除する仕組みである。
成績が悪く、自信を「喪失」した子供(夢を失った)を教育の場では排除する。



排除するのではなく、ともに生きることこそが、自分にもいずれ来る「喪失」を心安らかに迎える道だと思う。


2016年1月5日、母を失った。
深い喪失の中にいた。僕にとっては大きな存在だったのだ。存在の大きさは失って初めて分かる。
家族(父と妻と子供たち)や同じ苦しみ(糖尿病)に恐怖している人と共に生きる決意をした。
僕は、この喪失から抜け出せた。




母の死後、様々な経緯で、母の弟(私の叔父)と母の長男(私の兄)を失った。
もう取り戻そうと思っていない自分をみつけた。
取り戻そうと思っていたから苦しかったのだ。

経緯はいずれ書かなければならないが、今は忙しい。

802830