アウトカムの予想と、伝統と改革 毎日の食事作り

毎日食事を作り、後片付けをする。
どのくらいのコスト(時間と費用)がかかるかを考えながら行っているが、アウトカム(成果)をいかに評価するかが難しい。

コストは単純に比較ができる。
弁当を買ったらいくらかかって時間はそのくらいかかるかを考えればいい。
所が、アウトカムの比較は実際には不可能なのだ。

これは僕の糖尿病治療のアウトカム比較ともつながってくる。
もし、しなかったら、「どうなっていたか」という事はあまりに複雑でシュミレーションが不可能だからである。
様々な仮説から想像は可能だが、あくまで想像にすぎない。
食事調査にしても、介入試験にしても、ケーススタディにしても、私自身(と言うケース)に適用させるには多くの困難がある。





伝統というものは、未来を予測するための大変便利な知恵である。

それに従って生きている人の今をみて、自分の未来を予測するのである。
伝統がサンプルにしている集団は自分に近い。
「昔からそうするものだ」と言うのは、見えない未来に対しての予測の手段としては優れているだろう。
しかし、問題は伝統を成り立たせている環境が大幅に変わるということである。




「文学、法学、医学、人に関する全ての学問」といったあらゆる科学は幸せな未来を望んでいる。

アウトカム(成果)の予測は困難であり、科学の目的でもある。





毎日父に食事を作っている。
母がなくなる以前から作っている。

最近は朝8時には起きて食事を食べてくれる。
以前はオカズを残していることが多かったが、何も残さないで食べる。
昼も作って持っていくと食べてくれる。

おそらく、88歳にしてはしっかりとしている。






毎食適切にタンパク質と脂質を摂るというのは大事なことである。
身体が生構築する時に必須アミノ酸と必須脂肪酸が血液中になければならないからである。
身体の再構築はおおよそ45日で一般的な脂肪、120日で数的には圧倒的に多い赤血球、骨や脂肪細動と言った構築保存系の細胞は1年程度のスパンで入れ替わるのである。
入れ替わる時に、必須栄養素が存在しないとよく似ているが異なっている栄養素が代わりに使われることになる。
そもそも「必須栄養素」とは、元来身体の中で作ることの出来た栄養素なのである。
進化の過程で、作らなくなった利用そなのである。
何のためにそんなことが起こったのかという仮説はどれも納得できない。

この1年、色々と考えたのだが、面白いことを考えついた。
もう少し時間が掛かるが、多分、書けると思う。










798579