5回目の母の月命日 記憶している事、思い出す事

おそらく、父の状態は良くなってきている。
何年も前から、「認知症だから施設にれて治療するべきだ」という輩はいる。
僕も、怒りやすいのは「認知症」だからだそうだ(笑)。


実家の庭には、紅葉の木があった。
大きな木で、池に被さる等に枝をつけて、庭にはたくさんの実生がある。

数年前に折れてしまい、根元から切った。

母が亡くなってすぐの頃、この紅葉の事を、父は忘れていた。
 


ちょっとショックだった。

先日、紅葉の事を話したら、覚えていた。
思い出したのだろうか。
母の父親(笹川三作さん)が島潟のお宮から譲り受けてきたそうだ、
この話は初耳であった。



母が大好きだった「1つ違いの弟」と「母の母」と一緒に写っている写真である。

一緒に出てきた。
三人で極楽で、何を話しているだろうか。




宗教などいらないと思っていたが、今はそうは思っていない。
誰かと死別した時の空虚感はいつ癒される?
自分の人生で許してもらいたい人が死んでしまっている時、自分の心はいつ癒される?
すでに、謝罪も、和解も届かないところに行ってしまったのだ。
梅雨の頃、毎日たゆまなく降る雨の様に、自分を責めるのはいつ止むのだろうか。
極楽があり、そこで全ての人々と和解しあい、心が安らげると思う事は愚かなのだろうか。

母に謝りたい事や、話したかった事、伝えたかった感謝、どれだけあるだろうか。
時とともに、風化するかと思っていたが、ますます募るばかりである。




夕食をともにすると、父はこれから、十年生きると言う。
今日も楽しかった、明日も楽しいだろうという。
これから十年で、父に伝えられるだろうか。



数日前にちょっとショック状態(バーンアウト)になり、危なくなってから、情緒不安定である。
糖尿病の自己治療というのは、雨の中、小さな傘に頼りながらぬかるみの道を先も見えないままに歩く様なものである。

医者の言う通りにインシュリン打って、眼底をレーザーで破壊的治療して、医者が検査値見て「毎月褒められ、叱られ」ながら安心していくのは楽だろうなあ。

父と、家族がいなかったらこの道は歩めなかった。
感謝している。


742086