5回目の母の月命日 86歳の栄養学 お風呂の難しさ。

父と2016/6/5に一緒に夕食をとった。(というか毎日一緒に食べている)

最近、酒の量が減っている。コップに2杯である。
母が亡くなった直後は二人で、もっとおおかった。

ご飯の量はかなり少なくても大丈夫(満足できている)の様である。
昨年までは、1日3食 ご飯2膳づつだったが、今は1日2色、ご飯1膳である。

年寄りは消化のいいものがいいと言ってお粥の様な吸収のいい炭水化物を用意することがおおい。

僕は間違えだと思う。

年を取っても体の構成要素は常に入れ替わっている。動物は

タンパク質と脂質を必要な量だけ摂る。
自分の体の実質年齢に見あった「適切な量の炭水化物」をとるのだ。
では何で、自分の実質年齢がわかるのだろうか?

おそらく、満腹時血糖値とBMI(肥満度)だろう。

膵臓中心主義」とでもいうべき健康ん考え方なのである。






今日は、一緒に温泉に行こうと約束をしたので少し離れた「五頭温泉 旅館あらせい」に行った。
熱いくらいのラジウム温泉である。
ゆっくりと浸かって、父は嬉しそうであった。
父が暮らしている実家の風呂は使うことはなく、うちの風呂で入浴する事にしている。
しかし、なかなか入ってくれない。

決して風呂が嫌いなわけれはない。他人の家の風呂には入りにくいものだ。
風呂の掃除したり、沸かしたりが面倒なことを知っているから、迷惑をかけたくないと思うのだろう。
僕の85歳の時はどうなるのだろうかと思うと涙が出てくる。
2015年、母が亡くなる一年前、母は完全に風呂が焚けなくなり(ボタンを押すだけなのだがそれが出来ない)僕が掃除してボタンを押していた。
父と母は一緒にお風呂に入っていた。

そんな話をすると、父はいつも「忘れた」というが、決して忘れてはいないことを僕は知っている。


大事なものを失ったとき、どう癒すことができるのだろうか?




夜、一回起きて、コップ一杯の酒を飲んで寝る様である。
これは昔からの習慣の様だ、亡くなった母が夜中に父が起きて酒を飲んでいると幾度か僕に訴えたことがある。



食事はタンパク質重視の食事である。
というのも、人間の構成部室を見ると、タンパク質が50%を占めているのである。



まとまりがないが、眠くなったので少し寝ることにする。

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