母の四十九日

朝方、母の父親の眠る墓に行った。曇天の空の元、花を供えて、経を唱えた。


「猫や猫や』とおじちゃまは母を呼んだ。

下の子が小さいころ、おばあさんが脊椎カリエスになり、母は子守のために女学校を諦めた母は家族と家のために必死に働いた。

小学校卒が母の最終学歴である。

「今日、猫が会いに参りますよ」と言った。
25年前になくなった弟にも会う。

既に母は皆より年長である。

極楽では、どんな姿で皆会うのかなあ。

宗教は妄想であるというドーキンスの論は正当だと思っ。
生命の死は単なる化学反応の終わりである。
しかし残された者の心に去来するものの合理的な説明は出来ない。

僕の心に生まれたこの気持ちとそれが変化していくプロセスは言葉では伝達できないし、再現は不可能である。

心は物質の化学反応では説明ができず、そして実在することの証拠だろう。

ちなみに、ドーキンスの宗教批判の核心は、進化論に代表される科学を否定する「キリスト教原理主義」を対象にしている。なかなか面白いと思う。僕はドーキンスさんが大好き


夕食は、母が仏になったお祝いである。
僕は5の付く日にしか飲まないので、久しぶりに酒を飲んだ。
父も嬉しそうである。
母が亡くなった直後は、毎日3杯飲んでいたが、最近は2杯で止めるようになった。
食後のお茶をたくさん飲むのも嬉しい。

ご飯も、麦飯か、五穀米を少量食べるようになって毎日美味しい美味しいという。



大豆 豆腐の卵とじ
大豆 薄揚げ焼
たらの卵と糸こんの
サラダ わさび菜・胡瓜+クラゲ・カニカマの
魚 サシミ ハマチ・帆立貝
もも肉のオーブン焼
イカ イカと青梗菜のバターソテー
鳥・牛 きのこ、白菜、鳥、
お惣菜 餃子

僕は食べないが、ご飯は五穀米だった。
父が一緒に食べるようになってから、麦とかいれるようになった。
みんな炭水化物の量は減っている。その分肉魚の量や種類は多い

694913


神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別