家政学、糖尿病学、人を守るバリヤの喪失、新自由主義が人々を不幸にする。

家政学について調べ始めている。

実に面白い。

構造としての『家』を記述(=規範化)することを目的としている「家政学」は行き詰まってもしかたがないものであった(と思う)。



この3−40年で『新自由主義市場経済=グローバリズム』と言う価値を受け入れることで「『家』『嫁姑関係』『地域』『宗教的成約』」(私達の自由を抑圧するもの)という価値からから抜け出すことになった。(両立しないものであった。)


確かに、多くの「しがらみ」 から人々は自由になった。

しかし、その「しがらみ」は、私達を縛る一面とともに、守るバリアでもあった。

僕の叔父さんは、兄の事故死に際して兄の妻と再婚した。『なおす』と言って、家業を維持して、女性を守る為の「しかけ」だったという。過酷な環境(6−7人の子供を産んでも2−3人しか残らない)の中で必死になって生きてきた時代の知恵である。


糖尿病はそんなバリアが失われたところで私達が直面している現実である。

年老いていくと、皆、合併症と同じ状態になっていく。
糖尿病患者の僕は、55歳にして、気がついた。

それは幸運なことである。


そこで、『糖尿病学』を始めることにした。
それは『老人が幸せになるための学問』でもある。
糖尿病は老化が早く来る病だからである。


失われたバリアを私たちは新しい形で作らなければならない。



糖尿病学は実に広い守備範囲を持つと予想される。

まだ準備ができていないが、集めた本を少し分類するところからはじめよう。


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