人工透析と糖尿病の類似点

人工透析と糖尿病の類似点を思って事がある。


腎不全発症から10年―なぜ私は人工透析を拒否してきたか

腎不全発症から10年―なぜ私は人工透析を拒否してきたか


『なぜ私は人工透析を拒否してきたか ーー腎不全発症から10年ーー』
リュウ・ウェイ著 2015/5 

を少し前に買って読んだ。


素晴らしい本だ。
すぐに立て続けに腎臓病の本を読んだ。

今日は風邪の1日なので読みなおしてみた。


彼女は、人工透析や腎臓移植が必要だと言われながら、自分の生活を変えて、やりぬくのである。


僕の、糖尿病体験と一致するところが多い。
共感することしきりである。





「保存型腎臓病」という言葉有ることを知って、興味がでた。
医者が投薬や治療ができないレベルの状態だそうだ。
糖尿病の場合は「境界線型」という、インシュリンも投薬も出来ないレベルなのである。

この段階で医者に行くと僕のようにひどい目にあう。

守れないルールと、患者に責任を押し付けるための「教育」が徹底されるのである。

糖尿病は、社会の病理が個人を通して出てきているものであり、決して個人の責任ではない。

行動でカナリアが死ぬのは、カナリアが空気の汚れに敏感で感じやすいからである。決してカナリアのせいではない。

次に死ぬのは鉱夫なのだ。





自分自身で病気と向きあうべきなのだということをリュウ・ウェイさんも繰り返し語る。

100%共感する。

.............大切なことは、自分でそれを決めていくことです。
自分の体を知り、習慣を知りそのうえで何をするかを決める、ということが病気になるならないにかぎらず、大切なことだということを、私は腎不全と共生したことで学んだと思います。(P129)

............腎臓が悪くなったのは私の人生です。自分の人生に起きたことは自分で責任を取っていく他有りません。自分にとって何をするのが良いのか。それを探り。選択していくことが生きる道だと思います。(P148)

いい本である。



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