糖尿病性眼底網膜症と向き合う。今日(2015/11/20)は記念日

2015年4月8日は僕の記念日である。
眼科医に眼底網膜症がステージ2の最終状態にあり、すぐにでもレーザーでの治療が必要だと宣告されたのである。


しかし、僕はレーザーを選ばないで、食事で直そうと決心した。


今日は別な眼科に行った。どうしても、あの眼科には行けなかったのである。
まあ、眼科なんてどんな医者でも同じだろうとと思いながら、行った。

そして、今日が二番目の記念日(嬉しい)になった。

信頼できる人物と出会ったのである。
僕の糖尿病人生で2人目である。(最初の一人は25年前に出会えた先生で、ご自身もI型でインシュリンポンプをお使いだった。)



結論から言うと、眼底の状態は大変良好な状態になってきていた。

このまま『自己血糖測定+食事療法』を続けてもいいということなんだろうか?

もっと前に進めと「空の高いところにいる誰か」か言ってくれているのだろうか。


前回の検査結果を今回の先生は知らないから、前回の眼底写真との比較というわけではないが........



4/8の診断では、眼底網膜症のステージ2の最終段階で、新生血管が見られ、出血も多く有ると言われた。

その時の対応がバネになって、糖質制限が始まった等なものなので感謝しなければならないが.................(笑)

今日の先生も。最初は、前回の先生のようにカルテから目を話すことなく質問していた。
多分、糖尿病で放置したままの厄介な患者が来たと思っていたのだろう。


ところが、A1cの変化と何も薬・インスリンを使っていないことをお話したら、興味を持たれたようで、熱心に話を聞いてくれた。
BSPのマニュアルを御覧頂いたら(渡ししたら)驚いて、持って行ったスマホで動かして御覧頂いたら、ますますびっくりなさって、話が広がた。

その後眼底写真をとって、見たところ、まだ出血はあるが、こういう経緯で、あったならば、まさに驚き(良い方に)であるそうだ、

質問 回答
出血、新生血管は不可逆な変化なのか たしかにある程度進んでしまうと不可逆であるが、治る場合も多く有る。
前の眼科の診察では新生血管が見られたが、今は見られるか 見られない、ひっこんだんだろう。
今の初見でステージ2の終わりと判断するか そうは思わない。
すぐにレーザーをする必要はあるか 造影撮影をしなければ分からないが、これだけで判断はできない。


可逆的な病状だと言ってもらえたのが何よりも嬉しかった。


先生も山登りをして6kg痩せたというエピソードをご披露いただ、久しぶりに楽しい一時を過ごした。



次回は12月2日に造影剤を点滴して、眼底の白黒写真を撮ることにした。
これから、定期的に診察を受けることにした。


先生の年齢的(60代、白髪)なものや、ぼくの状況(生活が変りA1cの変化もあった)もあるかと思うが、先生との相性は良かった。看護婦さんも偉そうでなく、いい感じの方ばかりだった、病院って、先生によって違うものだ。

妻の運転する帰りの車の中で、経緯を話して少し泣いた。

この半年の不安と、苦悩が一気に消えた。
恐怖は人の判断を狂わせて、奴隷にする。その戦いは困難であったが、乗り切れたようだ。


出会いというのはあるものだ。

人生は面白い。












『生活を変えて、血糖値を下げ、A1cを落とす』どんなに困難であるかは分からないものである。
その上、果たして効果があるかわからないのである。

この半年は辛かった。毎日血糖値を測りながらm
毎日、明日は目覚めたとき目は見えているのだろうか?
と不安の毎日である。
些細な事で、家族にあたったり、情緒不安定であった。

仕事もまともに手につかず(当たり前である、失明したら僕の商売は終わりである)。半年後には死なねばならないかもしれないのである。あの医者の言うとおりにレーザーで焼いていれば失明しないかもしれないのである。そうだったら、ぼくは世界一の大馬鹿者である。まあ、死ぬつもりだったから良いのだが(笑)

どんなことがあっても、あんなふうに患者を脅かすものではない。

非常に優秀な医師と評判だが、僕は人間として、他人の心を思いやることの出来ない種類の人間だろうなと思う。
犯罪用語でいうところの『サイコパス』、関西弁で言うところの『ええかっこしい』、そして『他人が馬鹿に見える病にかかっている』可哀想な人間である。










最初(2015/4/8)の医師の態度は、患者を人間として尊重しているようには感じられなかった。
決して彼を責めるわけではない。
医師であろうと無かろうと『糖尿病で、何も治療をしなくて放置しておいた様な人間は「馬鹿」で「いい加減」なやつだ』と思う。
「馬鹿でいい加減」な奴の対応にはつかれるのだ(笑)。

眼底の写真を撮って見てみた時は
『私は忙しいから、来月予約入れますよ』という。「目が潰れるんだよ、見えなくなるんだよ」という。

生活を変えて少し経過を見たいというと、鼻で笑う。
糖質制限』と言う名前を出すと「分かっていないなあ、失明するんだよ」と繰り返す。

その時は、眼の炎症で診察を受けていた。
次月のレーザーによる手術をしないということがわかると
小さいビンを出して、「この薬を出そうと思っていたがこの薬は眼底の出血を促進する可能性が有るので、こちらを出すことにする」と言う。
そんなことをいう必要がなぜあるのか->専門家であることを強調して、恐怖を植え付けるためであろう。
自分おビジネスでは、僕もよく使う手である。


僕の住んでいるエリアでは、優秀だと評判の医者である。
85歳の母も、75歳の叔父も手術を受けている。病院は、順番待ちの患者でいっぱいである、看護婦も偉そうである。
病院っていうのは違うものである。

しかし、憂鬱である。






2015年4月8日のブログには、こんなことを書いている。

眼底の検査をしたら、第二ステージでレーザーで焼かなければ失明すると言われる。
レーザで焼かなければ失明すると言われて、ついに糖尿病に追いつかれたのかという感慨に浸る(笑)。
ここ1年、かなりのプレッシャーで食事が悪くなっていたことを思い、さもありなんと思う。
目は血管を移す鏡だから、体全体の血管が同じ状態だろうなと思う。
このまま、医師の言うとおりに投薬をして、眼底をレーザーで焼いて生きるか、自分の信念で生きるかである。
糖尿病は、その原因が毎日の食生活にあり。改めなければ同じことの繰り返しなのである。
そして老化が早く到来して、くり返し、眼底を焼き続け、透析がはじまり、壊疽や動脈硬化が続く。
死ぬ前の10年がとても辛い人生となる病気である。


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