教育、医療、「エンパワーメント」、「銀行型学習」、「糖尿病最初の1年」を読む
医療(糖尿病の治療)と教育は同じ問題を抱えている。
パウロ・フレイレさんが1960年台に教育のフィールドで重大な研究を行った。それは、ピーター・M・センゲさんが「学習する組織」の中で展開している。
彼らは、近代教育の問題の本質を論じている。
彼らは、学校での教育を「銀行型学習」と呼んでいる。
教師は生徒に言葉で情報を伝える。試験でその情報がどの程度の正確さで引き出せるかを『確認->評価』する。
あたかも、銀行が正確にお金を預かり、払い出すことで評価されるようにである。
そんな教育は、人を「公式の見解」の中に埋もれさせる。
その反対は「メタセノイア」と呼ばれ、今までできなかったことができるようになる喜びを感じることである。
人としての喜びを感じることは、言語での伝達は出来ない。
ただ、共感することで、共に変わっていく、そして変わるための勇気を受け取ることが出来るのである。
「人間化」「エンパワーメント(力づけ)」大事なことは、言葉では伝えられないということである。
言語で伝達可能な技術ではなく、生き方だからである。
教師は、生徒に自主的な学習をさせようとやっきになる。しかし、それは困難である。
日常的に行われる「銀行型教育」と自主的な人生は相反するものだからである。
「人生が変わる」「今までの自分でなくなる」ことを体験する事、信じることこそが「教育」なのである。
医師は、患者に『指示』を出す。あたかも、治癒することが約束されている病に対しての「指示」と同じレベルで出す。
「傷口は濡らさないで下さい」「薬飲んで会社休んで下さい」......
患者にとって「実現可能」かどうかという事を考えないで出すのである。
まさにマニュアル通りの治療である。
そのような医療では、主体は医師であり、「病気」を治療するのである。患者は単なる病気の入れ物にしかすぎない。
警察と「犯罪」と市民の関係と同じである。
患者を癒すのではなく、患者の中にいる悪魔を追い払うのである(笑)。
僕は若いころ300時間の残業を続け、一日5回牛丼を食べて体重120kgで、この病になった。
あの頃の体験を否定される気にはならない。
マニュアルに沿っていれば、医師の責任は回避される。
教育も同じである。いくら子どもが自殺しても、教師の行動で回避することが可能であったにしても、マニュアルにそっていなければ教師は何もしない。
公平な手続を要求される事務(公務員)ならば(ある程度)納得はできる。
知識の差が「給料」の根源である『公務員』である所が教師と医師はよく似ている。
『患者・生徒』は無知でなかればならないのである。
学校は、「社会への忠誠度を測るための知識の体系」の「銀行型習得」を子どもに植えつける。全て植えつけた所で「教師」と「生徒」は同等品となる。次のレベルの学校にいくのである。そして、拒否する子どもは『社会に忠誠でない』と排除される。
『教育』の過程で、繰り返し、子供たちの自信を奪い、忠実に社会の指示に従うことを強制する。
やがて、子供達は教育の過程を終わる。
一部の忠誠な子どもはその評価に応じて社会の維持者としての役割を担う。公務員、教師、大学の教授、代議士、政治家として.........。
その他大勢は、企業の一員となり、生活の糧を得ることになる。
上司の指示に従い、時に、会社の利益のために「道徳的な逸脱行為や違法行為」さえも行うことになる。
糖尿病の「医師による治療」とそっくりではないかい?
本来、治療は「生活を変えることを患者が見つけること」を助けねばならない。
しかしながら、医師を作るための教育に於いては、そのような課程はない。
そして、銀行型の学校教育を受けてきた「医師」には「自分が変わる経験を持たない」。
少なからぬ数の糖尿病になった医師は自分が変わる体験をする。
そして、その体験を患者と共有することが出来る。
医師は、血液検査の値によって(マニュアルに従った)治療方法を決める。
患者には従順に指示に従うことを要請する。
その指示は、医師にとっては実現可能かもしれない。しかし、患者にとっては(多くの場合)不可能なのである。
重要な支持は、患者に「今までの人生の変更」をせまるのである。
簡単には生き方は変えられない、そしてその生き方が「鏡に写ったもの」が病である。
「単なる指示」に対して、「エンパワーメント」と言う概念がある。
「エンパワーメント」は世界の問題を自分の問題として捉える事を手助けする活動である。
アドラーは言う「自分を変えられるのは自分だけ」と、まさにそのとおりである。
社会は、技術変革、情報の偏在に始まり、正当な報酬は既得権益へと変わる。
教育も医療も、既得権益を維持しようとする圧力を常に受けている。
両者ともに大きな金額が動く、多くの人間が関与する。
「世界を理解して、社会と自分をより適切な物へと変えることの出来る人」となることを僕は夢見る。
かなり、糖尿病関係の本を買ったが、詳細に読みたくなる本は少ない。
先日、「糖尿病最初の1年」と言う本を入手した。
この本は素晴らしい。糖尿病と診断されてからの患者の心、そしてともに生きることを決心するまでのドラマがある。
医師の知識が患者でも習得可能であり、不完全なものであることを伝えてくれる。
私達は世界について何も知らない。
そのことを知らない医師には治療する資格はない。
そのことを知らない教師には教壇に立つ資格はない。
そのことを知らない親は、子どもを育てる資格はない。
そして、親はあっても子は育つ。
医者に殺されないためには、学び、自分が変わることである。
出来なければ、遠くに旅立たねばならない。
591745
- 作者: パウロ・フレイレ,三砂ちづる
- 出版社/メーカー: 亜紀書房
- 発売日: 2011/01/19
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