征服者 マーク・クリフトン 遺伝子は世界を自己で満たそうとする

僕はSEが大好き。

炭水化物が世界を制服したと言う言葉を聞いて、ふと思い出したのが1952年に発表された11ページほどの小説である。

『征服者』 マーク・クリフトン

1)ダリアは種から育った株は、全て突然変異の株である。
2)望ましい茎塊は株分けして育てることが出来る
3)1つの株から毎年10株、二十年で1千億株に増えることが出来る
4)どんな所でも大リアは育つ、食用に適しない。


物語はグアテマラのダリアが自生する土地で、ある少年がふとダリアの根を口にするところから始まる。
満腹感、幸福感が彼を満たすのである。
その日のうちに家族は、そのダリアの価値を知る。
大切に育て、翌年には牧師様が知っることになった。

そのダリアには人に満足を与える力があった、精神的にも肉体的にもである。
やがて、ダリアの株は世界に広がっていく。


12年後、政治家や、独裁者、官僚や富裕層、貧困層、すべての人類がダリアの味をすることになる。
ダリアを食べた人は、『どんな贅沢』も、必要なくなるのである。
友愛に満ち、共にいたわり合いながら、自分の土地でダリアを育てるのである。

そしてダリアは世界を支配(世界中のどこにでもあり、ヒトという召使がいる)するのである。


講談社文庫 ミュータント傑作選 昭和54年 に収録されている。

この小説を読んだ時、様々な生命が共生しながら互いの種を広げていく事の面白さを知った。

生命は単独では生きていけず、強いつながりの中で存在するのだ。
捕食者と非捕食者の関係も決してその考えから逸脱したものではないのだ。

ミツバチと花の関係、人と米の関係もしかりである。



世界中の公園で「桜」が生きているのも、面白いものである。
その桜が、日本に起源があるのか、中国にあるのかでもめているのも面白い。
「和食」をけなす(和食が糖尿病のもとであったなどということを言うこと)ことが「日本」をけなすように感じる人がいるのも面白い。

自分の食べているものをけなされるのは、大変腹の立つものだ。
この辺は、なぜ「食事に対しての態度が保守的になるのか」と言う事から考えてみたい。







昔、中国の支配者は、自分の支配地域の田の広さから侵略可能な地域を算出した。
兵士が食べて動ける範囲がその国の広さだった。
効率的な農業技術はイコール支配の力である。





麻薬戦争という言葉が普通に使われる様になって久しい。
私達は、麻薬の材料となる植物を必死に栽培している。
麻薬が人間に気持ちよさだけを与えて、凶暴にしたり、健康に害をあたえないならばいいのになあ。







糖質制限に対してのバッシングについて考えると、同様の困難さを感じる。
穀物に支配されたヒトは凶暴になり、より多く穀物を売る使命感に満たされるのだろう。
グローバリズム(ものの移動で利益を出すビジネスモデル)は、長距離の移動に耐えうる「穀物」をビジネスのアイテムとした。

基本的に全人類を穀物以外のカロリーで維持することは出来ない。
今や牛はコーンを食べて牛肉になる。
牛の形をしたとうもろこしなのだ。
キング・コーンやフードインクに詳しい



食事を変える運動は、時に人間関係や平和といったものをそのターゲットに入れる。
そして、多くの宗教は食事に対しての戒律を持つ。
あらゆる土地はその文化固有の食べ物を持つ。
排他的なものであったりもする。



SFでは様々な思考実験をする。
時折、支配するためにその生物に「抗えない何か」を与えると言う主題の物語が現れる。




麻薬を与える事で支配者が市民を支配することは当たり前に行われていることだ。
また、兵士を殺人機械に変えるために使われたということも知られている。

戦後(1951年まで)「ヒロポン」と言う名前で覚醒剤が市販されていたことを知っている世代は少なくなってきた。







僕の母は85歳だ。数年前から安定剤を処方されて、飲んでいた。
昨年末ぐらいから、勝手に自分で沢山飲む様になり、一日中ボートしたり、なにもない所で転んだりした。

そこで、分量を減らそうと試みた。
そこには、大変な抵抗があった。

先日、安定剤を飲まなくてもいいようになった。
彼女の意志の力を信じてよかった。





色々と考えさせられる糖質制限の日々である。


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