昔、鬼畜米英、今、イスラム国(2)光州事件、吉里吉里人、イスラム国

イスラム国を攻めるのにシリアの国軍があまりに頼りないと言う報道をよんだ。

マスコミのあまりの想像力のなさに悲しくなる。


例えば、「岩手」で独立運動が起こった時に、自衛隊が反乱軍を殺しに行ってもなかなか殺せないのである。
自衛隊員の中には岩手出身者もいるかもしれないからである。
分かっているだろうか?




僕らは今、同じ文化を持ち、親戚や友達がいる人々を殺しあわせているのである。
過去の様々な国際紛争と同じようにである。


クルドの兵士が勇敢で素晴らしい活躍を見せていると褒め称える報道もあるが、「こいつら本気か」と思う。


光州事件で、有名な話だが、光州市民を殺しに行った兵士は、皆離れたところの出身者だったそうである。





イスラム国がどんなものかは分からないが、その兵士たちも生まれた時から殺人者ではなかったはずである。


この戦争(ならず者を殺すための聖戦)はイラク戦争の第二幕であると誰も論じないのがおかしいと思う。
今回は流石に「大量破壊兵器」は有るということにはならないからジャーナリストの命が必用だったんだろうか?


アメリカの軍事予算は倍増したそうである。

日本もそうなる。

そして戦争が(大ぴらに)出来る国になる。




こんなこと書いている僕は「非国民」と呼ばれ、町内の隣組から仲間はずれにされる。食料の配給でも意地悪される(笑)。

光栄である。

子供達が戦争に行かないで住む国を作りたい




明治維新の頃の白虎隊の話を思い出す。
あの頃、薩長連合は多くの日本人を殺したが、その次代を考えれば、「日本人」などという概念はなかった。

それぞれの藩の兵士がいただけである。
戦後にいかに権益を得るかのための戦略があったのである。





国ってなんなんだろうか?


グローバル時代は国家の概念も変えてしまった。

そこに生まれたから、国民なのではない。
同じ価値を信じて生きているから同じ国民なのだ。




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