ソーシャルスキル批判(5)今の段階のまとめ

僕はADHDだった、そして「一般的に言うソーシャルスキル」を全くと言っていいほど持たなかった。

大学時代は3年浪人したということもあり、同級生たちと適切な関係になかった。

最初に就職した出版社では「場の空気を読めない」為に怒られ、半年で首になった。
その後、新聞社や別な会社に勤めながら怒られ続けていった。

不動産会社の媒体誌に務め、営業でも周り、お客さんに怒られ続けた。

ソフト会社に技術者として転職したが、営業としてお客さんに怒られ続けた。
大量の提案書を作り、受注できたり出来なかったりした。
受注出来ても、納品してからも怒られ続けた。



やがて、そのソフト会社を飛び出して独立するが商品は売れなくて(市場に怒られて)新発田に帰ることになる。


職はなく、おやじが50年務めた鉄工所に、現場の職人として入社する。
現場でも怒られ続けた。高卒の親方におこられ、学士様でも出来ないんかねとか言われ、怒られ続けていく。

会社が廃業した後で仕事もなく、東京の友人からのソフトの仕事で食っていくことになる。

そしてその会社にも裏切られ、一時は死のうとすら考えたが、救ってくれたお客様と出会うことになる。







ようやく、前が見えるようになったのはWEBアプリと呼ばれる市場に活路を見出すようになったからである。

いつの間にか、怒られる回数も減っていった。

そして、お客様と共に生きることを信念として自分の会社で頑張っている。
平野屋コンピューティングは、お客様と自分が、共に栄えていくことを社是としている。
共に生き、共に栄えていくこと、その事を腹の底から分かること、いかに困難だろうか。





私達と同じように、子供達は、学校を出て社会の中で自分自身を実現しようと生きていく。

社会との関わりというものを、生涯かけて学習していくことなのである。


「命がけで自分の会社の売上をあげようとしているお客様」に怒られ続けて、知った事がたくさんある。

僕の考えるような「ソーシャルスキル」を学校教育の場で「銀行型の学習」で教えることは出来ないと思っている。

ヒトは、叱られ、失意して、諦めること無く生き続けることで何かを見つけるのである。

その過程には「自己変革」という困難な壁がある。

お客様に怒られ、拒否されながら、お客様の価値を理解して、自分の持っている価値を付け加えてもっと大きな価値に変えていく。
その過程では自分が変わらなければんらない。そして、相手も変わっていく。
そんな関係に気がついた時こそ、大変な喜びである。

どんな困難に直面しても、困難を自分の問題として捉え、諦めないこと。僕は人生という体験から学んだ、それを伝えたい。


誰にも怒られることのない学校の場で生きる教師には無理である。
自己変革を常に実行していく様な教師でなければならない。

しかし、いかにそんな教師が少ないかは誰でも知っていることだ。


どうしたら、僕たち(親、教師、子ども)は「自己変革」が可能だろうか?

まだ前に進みたい。


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