「学習する組織」ピーター・M・センゲ

ピーター・M・センゲさんの本(学習する学校)を以前読み、姉妹編とでも言えるこの本を読んだ。

昔から、感じていながら「言葉に出来ない思い」を彼は見事な文書で表現していた。
まさに感動である。

P49 で「メタノイア」と言う言葉を彼は紹介している。
心の転換を意味する。
ギリシャ語で「根本的な転換又は変化」を示す。「心 ”noue”」の「上・超えた "meta"」と言う形而上学的な意味がある。

初期のキリスト教文化では「神についての共有の直感を目覚めさせて、それを直接知る」と言う意味があり「後悔」と訳された。

「学習」の本質的な意味を彼はここに見出す。
現在の「学習」と言う言葉を、私達は『教室に受身の姿勢で座り指示を受けて間違えないことで先生を喜ばせる』と考えている。
銀行型学習と彼は呼んでいる。預け入れをキチンと引き出せることが高い評価になるのだ。

『学習=情報を取り込む事』というふうに考えているのである。そしてその定義では誰かの指示に従う人間しか出来ないのである。


彼の学習の定義は「自分が変わること・出来なかったことが出来る様になること」なのである。




誰かを喜ばせることが学習ではない。
自分が変わることこそが学習である。





数年前に「原発新潟県民投票」の街頭署名に参加した。
その時に多くの人達と出会った。フツーの主婦が突然とてもアクティブな活動家になるのである。
ある瞬間に彼女にメタノイアが現れたのである。

僕はその秘密が知りたかった。

僕自身もかつての労働組合の争議の過程において現れたのである。

自分自身が劇的に変わる瞬間をどうしたら作り上げられるのか本当に知りたいと思っている。果たして、学校教育を変えることが出来るのか、会社は強くなれるのか考えていく為の貴重な一冊である。

新の学習は、「人間であるということは
どういうことか」と言う意味の核心に踏み込むものだ。
学習を通じて、私達は自分自身を再構成する。以前には決して出来なかった事ができるようになる
学習を通じて、私達は世界のにんしきをあらたにして、世界と自分との関係を捉え直す。
学習を通じて、私達は自分の中にある想像する能力や、人生の生成プロセスの一部になる能力を伸ばす。
私達一人ひとりの中にこの種の学習に対する深い渇望があるのだ。

人類学者のエドワード・ホールが言っているように、「人間はずば抜けて優れた学習をする有機体である、
学習したいという意欲は性的欲求と同じくらい同じくらい強いが学習意欲の方が早くに芽生えて長く持続する」


「学習する組織」P50より

504706