モッキンポット師の後始末 mixiから引越し2006年09月09日 01:17

井上ひさしさんって大好き。

物語や戯曲に関しては余り読んでいないけど、この物語は大好きだ。

宗教に対しての基本的なスタンスは高校の頃読んだこの物語で決まったような気がする。
確か、テレビ化されて放映されたのを見て本を買ったような気がする(兄が買っていたようだが)。

1974 講談社 井上 ひさし

大泉 滉さんがモッキンポット師を演じたテレビ番組を小さい頃見た記憶が有る。そして、兄がこの本を買って来て、いつの間にか友達のいない少年だった僕の愛読書になった。
井上ひさしさんというと、この本のことが一番に思い浮かぶ。
そして、その後、今はもう絶版になっている中央公論から出ているエッセイシリーズを買う事になる。

#################################

そのエッセイシリーズの5巻が『聖母の道化師』といい、その中に同名のエッセイが有る。(読売新聞:昭和48年2月11日〜7月29日掲載)
早くして夫を失った母が男に騙されて子供を教会の孤児院に預けるくだりから、その少年が高校、大学生になっていく過程、いかにして彼がカトリックの信者なったのかと言うことが書かれている。

孤独な井上少年の魂がマリア様と出会い、マリア様を母と思いながら修道士達によって育てられて行くくだりは胸が熱くなる。

そして、全編に溢れるユーモアーに溢れた文章はその凄惨すぎる現実を映し出し、胸が痛い。


モッキンポット師は彼に取って本当の意味の宗教であり、救いなのだ。

>>>>>>>>P33 聖母の道化師 <<<<<<<<<
「.......たとえば、あなたがたには親がない。そのために、いまあなたがたは苦労している。悲しみや苦しみ、あるいは寂しさであなたがたの心はいつもしぼんでいるかもしれない。また、自分たちだけになぜおやはいないのかと、その不公平さに腹が立つだろう、だが、ここで視点を変えてみなさい。あなたががいつか必ずたどり着く『この世の出口である死』というところからそのことをながめ直してみなさい」
この世の出口である死からすべてをながめなおす、これがカトリックなのだと、老管区長はいうのだった。たしかに何十年か後、臨終の床に自分が横たわっていると仮定しそこから親がいないと言うことを改めて考え直すと、その悲しみや不満が自然に解消するようだった。

>>>>>>>>P81 聖母の道化師 <<<<<<<<<
カソリックの教えが私を捉えて離さないのは、、カソリックを信ずる先達の中に、あの仙台の孤児院の修道士や、東北の港町の教会付きの神父や、私の学んだ学校のP教授のような心のやさしい人たちがいるからであ。それらの聖職者を信じるが故に、私は彼らの神を信じるだけなのだ。...........世故に長けた計算をする事をせず、他人のために己の存在をかけるこれらの聖職者たちの、一挙手一投足は、ローマ法王のいただ冠よりも、バチカン市国の全財産よりも、いや、今世界にある聖書を全て集めたよりも、重く美しく、そして尊いのだ。......

#################################

井上ひさしさんの作品は多岐に渡り、政治的な立場や様々な論評が加えられているが、僕は大好きなのだ。

「中公文庫のエッセイ集」が絶版なのが悲しい。

今70歳を超えた彼の脳裏にはどんな母がいて、モッキンポット師がいるのだろうか。
時に思う、モッキンポット師と、母と井上少年が語り合う姿を、そして『死の下す判決は全て平等だ』というカソリックの教えの意味を。

僕は神様を信じることはないが、モッキンポット師と井上少年のマリア様を疑うことはない。




405067