ブラスっていい映画。mixiから引越し 2006年10月02日 02:11

ブラスっていう映画は僕大好きである。

イギリスでの1980年代に起こった、エネルギー政策転換で炭鉱が閉山させられる話である。

僕はこの頃のことを描いた映画が大好き。
リトルプリンスなんかもその一つである。

イギリス映画というかなんというか「ウエールズの山」なんかも好きだなあ。
ラストで涙がポロポロとこぼれてしまう。

2002 マーク・ハーマン ユアン・マクレガー

ブラス、リトルダンサーフルモンティ、いずれも1984年以降のイギリスにおける炭坑の閉山を主題にしている。これ以外にもいくつか有ると思うが、いずれも真正面からイギリスにおけるこの大きな社会変動を描いている。

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この映画においては、組合が経営サイドと勝ち目の無い戦いを戦い破れていく姿が描かれている。一旦倒産させる事が決まった以降の企業がどんな形でバラバラにされていくのか、そして、労働者はいかに切り離されて、町を、故郷を、共同体を失っていくのかという事が描かれていく。

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この映画は敗者の側からみた記録なのだ。
確かに、炭坑の閉鎖は国にとって必要だったのだろうが、その説得の方法がフェアでない。徹底的に働く人間の誇りを奪っていく。生きる気力も何もかも。
労働者一人一人に十分な補償を与える事ができない(そもそも十分な補償などというものは存在しない)まま倒産しなければいけないのだから言い訳のしようがない。最初から負けの決まっているレールを走らせられる列車は多くの不幸を乗せてはしる。

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ブラスバンドのすばらしさ、楽しさ、各地で行われるコンテストの描写、鉱山の日常、いずれもすばらしものだ。イギリスの人って音楽が好きなんだねえ。

NHKの歌合戦の様なものかしら、ラジオ体操の様なものかしら。

そして廃坑のタイムアウトが進むにつれて描写は痛々しく見るに辛いものとなっていく。 <<<この映画ではストは行われないからこの辺はリトルダンサーの話>>>>>
例えば、廃坑が決まっている鉱山の組合員は何度も経営者からの提案に対して投票していく、ストライキをしているときに山に入る事はスト破りだから裏切り者と言われる。
ストライキ中は給料が出ないから生活が苦しくなるとスト破りをしなければいけないし、そうすると、昨日までの友人は裏切り者とののしる事になる。 <<<<ここまで>>>>


投票で経営者の提案に賛成する票を入れると裏切り者と言われる。(むろん無記名だから分からないがドンドン票が減っていくからすぐに察しがつく)

この映画の中でも、自分を裏切り者と呼ぶ男が出てくる。彼は生活が苦しいから、仲間を裏切ることになる。自分のよりどころを失った彼は半狂乱となる。
協会の孤児院にピエロ姿で慰問に行って、彼はキリストをののしる「キリストは何をした.....ジョンレノンを殺した、炭坑で働く若者3人を殺した、そして次は俺の親父を殺す、ひどいじゃないか、冷酷なサッチャーは生かしておいて.....みんな、僕の名前は組合の裏切り者だ.....」

企業が会社をつぶすとき、労働者の団結を砕くために、あらゆる手を使う。従順な奴隷の様な社員を使い、あめと鞭を使い、家族を共同体を破壊していく。
家族がバラバラになり、地域の共同体が破壊されていく。

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そして、やはり映画はおとぎ話、もう一度バンドは戦いを挑み、勝つのだ、そして失われた家族の絆、仲間たちの絆は戻り、おわる。
破壊された共同体は戻らないが彼らは生き抜いていく。
卑怯な経営者の仕打ちにしてやられたが、きっとこの絆は人生を豊かなものとしてくれた。

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ラストの演説は涙でぐしょぐしょになる。
最後の威風堂々はすばらしい。負けたとしてもプライドを失ってはいけないのだ。

本当に戦おうとしたとき、人生において勝つ事はさほど多くはない。
人生の戦いは、ほとんどの場合は負けるのだから、この映画は心にしみる。

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僕の今住んでいる新発田という町もかつて大平洋金属という会社が多くの社宅を作り、共同体として栄えていた。そして経営が会社を潰し、多くの人々の生活を破壊した。
倒産するときに小さな工場を少し離れたところに造った。その工場をその後15年動かして、10年前に潰した。そんな僕の町の事を思い出した。最後の倒産のとき僕は委員長だった。
http://www.inet-shibata.or.jp/~diet/K_KUM_START/index.html

労働と人生、生活と労働がもっと近かった時代がかつて有った。隣近所の人は働き場の友人で、おじいさんも親父も同じ職場で働いて、祭りが有れば皆集まり、悲しみも喜びも供にできる様な共同体、心の安らぎが有った。

そして、グローバリゼーションやら近代化が皆破壊した。

僕にとっては残念ではないが、覚えておきたい。そんな町で僕の父母は生きた事を。

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