島唄大好き

 

島唄

島唄

1945年の沖縄の戦争で「軍隊は自国の国民を殺す」ということを証明したことを忘れてはならない。
この歌は沖縄の戦争を描いている
そしてその視座はあくまで個人である。素晴らしい。

上記サイトより引用させて頂きました。

でいごの花が咲き風を呼び 嵐が来た

災厄を告げるという でいごの花が咲き、(1945.4.1)沖縄本島に米軍が上陸した

でいごが咲き乱れ 風を呼び
嵐が来た
繰りかへす哀しみは 島わたる 波のよう

でいごが咲き乱れる1945.4-6月に、寄せ引く波の様に、殺戮は繰り返された

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聞くたびに涙が止まらない。


そして、この歌が描いているのは軍隊の持っている普遍的な問題である。


敵を殺すことが軍隊の使命である。
自衛隊は名称はなんであれ、軍隊であることは分かりきったことである。

警察は常に対象を「容疑者」として捉えるので、命を救うことが目的になる。
同じ価値を守ろうとする司法の場での犯罪の評価を目的としたものである。

軍隊は違う。
出動した時点で、敵を明確化してあり、殺すことを忌避しないで目的を実行するのである。
国家の転覆を目的とした集団を殺すのである。たとえ国民であろうともで
たとえ相手が国民(単に国籍が日本であるだけの人間であるとしかみないのである)であろうともである。


僕は島唄が大好きである。



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こちらから引用


朝日新聞宮沢和史さんのコラムが掲載されていたようです。
引用させていただきます。

島唄』は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。
91年冬、沖縄音楽にのめりこんでいたぼくは、沖縄の『ひめゆり平和記念資料館』を初めて訪れた。
そこで『ひめゆり学徒隊』の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための『捨て石』とされた
激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になった事を知った。
捕虜になる事を恐れた肉親同士が互いに殺し合う。
極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟)の中にいるような造りになっている。
このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。
だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。
この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。
歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。
『ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら』という下りだ。
島唄』はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。
2人は本土の犠牲になったのだから。


朝日新聞の元のコラムがわからない。
日にちもなにも分からないがネットでは多く引用されている様である。


「千代にサヨナラ」という所が凄いねえ。
千代=皇室と僕は読み替える。
私たちは自決することでこの不条理な世の中(他人の為に死なねばならない)と別れ、二人だけの世界に旅立てる。


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