橋下大嫌い、風俗業は自由意思なのか....

 

ナニワ金融道(1) (講談社漫画文庫)

ナニワ金融道(1) (講談社漫画文庫)

まずはっきりさせておきたいのだが、水商売とか風俗業とかいう言葉で一括(ひとくくり)にしているのは問題がある。
夜の業界(早朝営業もあるが...)は、はっきりと2つに分けられる。



男性が「お金」を払えば「射精させてもらえる」お店(Aタイプ)と、
いくらお金を払っても女性がその気にならなければ「射精させてもらえない」お店(Bタイプ)である。


橋下がかつてホステスと性行為をしてスキャンダルになったのはBタイプのお店である。
橋下も風俗でストレスを解消したのである。

まさに自分の言葉に従った正直者である。







ABタイプ共に「合法」である。

Aタイプの代表格の「ソープランド」と呼ばれるお店では、通常、男性と女性は個室で一緒に裸になってオフロに入って、歯を磨いて体を密着させて勃起まで行く。
そこで「お店で貰ったお金だとここまでなの、後XX円貰えたらもっと出来るわ」と言われる。
今はいくらくらいだろうか?「本番料金」でgoogleさんに聞いてみるといい。
僕の頃(25年前)は12000円の入浴料で10000円の自由恋愛負担金だった。
お金を払うとセックスなり手コキなりで射精まで行けるのである。これを本番行為という。
大事なことは、自由恋愛であるところである。

この商売では、接客の中でセックスが標準装備されている。


橋下は合法な範囲の水商売でストレスを解消させろと言ったが、射精しないで寸止めさせるのかねえ。




Bタイプの代表格の「キャバクラ」と言われるお店では、いくらお金を払ってもキャバ嬢(通称)が気に入ってくれないと性行為はさせてもらえない。
なおかつそのお店の中では(特別な個室では行われることもあるかも知れないが)まあ、無理である。
キャバクラに行くと自由恋愛が金で買えるような気にさせられて、毎月何十万円を貢ぐ男がわんさかいる。
キャバ嬢の高い給料の原資である。
結局、目当ての女性がなびいてくれなくて、殺人やストーカーの被害に合うという事件をたまに聞く。


キャバ嬢は魅力的である。そこでは自分を理解してもらえ、楽しい時を過ごせる。
もしかしたらお店の外で会えたりしそうな気がする。そしてセックスも出来そうな気がする。
結婚してしわわせに暮らせそうな気もする。
17-8年前に会社(鉄工所)の同僚に誘われて行ったことがあるが、後から同僚に請求された金額を聞いてびっくりしたものである。払った時は憂鬱だったが、別な同僚がそのお店の女性と結婚した事を聞いてびっくりした。
数回あったが、シッカリとした強そうな女性だった。連子だった。
彼との間に子どもが出来た後ですぐに別れてしまったということを風のうわさで聞いた。
一緒に働いていた鉄工所が倒産して、毎日遊んでばかりだったそうだ。


Bタイプの問題点は、対価に対しての金額が高すぎるのである。
僕は大学の頃「25万円の英会話のカセット」を自由意志で買ったことがある。女性に呼び出されて「個室」でこれから世界に通用するためには自分に投資しなければならないことを説得させられて夢を買わせられたのである。
いい経験であったが、仕送りをしてもらっている大学生にとっては親不孝な買い物であった。

子どもたちには言いたい。夢は自分の金で買うものである。ABどちらのタイプであろうとである。






ここから本題である。

自由意志で、好きでAタイプの仕事をする女性はいないと思う。

Bタイプはいるだろう。芸無くニコニコ座っているだけで高い時給が手に入るのだから。それだけなら僕だってしたい。
無論、好成績を上げるには技が必要だろうし、技のない人はノルマに押しつぶされるだろう。
その辺は普通の会社の営業マンと同じである。
この件に関しては後日書きたい。B->Aと流れる女性は多いそうなのである。最近はAV出演とか様々なルートがある。




東南アジアで(日本でも居るということだが....)は自由意志で肝臓や腎臓を売る人がいる。
それも自由意志と言っているが、僕は選択の余地のない「自由」は自由と言わないと思う。



ニートが働かないのは自由意志だからいいのか?

子どもが自殺するのは自由意志だからいいのか?

犯罪者が犯罪をおかすのは自由意志だからいいのか?


「なにわの金融道」と言うコミックスで金融会社に務めた成年が、払えなくなった女性をソープに就職させて、その女性とセックスをするという描写がある。青木雄二さんは凄い。人生の教科書である。



自由意志という名目で、その人の不幸に共感しない人間を「サイコパス」とか「人非人」とかいう。

不況で、自分の生活もままならなくなると人はそうなってしまいがちである。
自分の不幸を盾に他人の不幸を踏み台にして、水面から顔を出して息をする。


そういう人間は社会のどこにでもいる。
自分の中にもいる。

しかし、政治家は、社会の中でそういう不幸を減らそうとするのが仕事であろう。
明らかに橋下的な人間は消えていただきたい。


憂鬱である。


330215





僕は、今までの53年間の人生で、20代の頃ソープランドに数回(40代の女性が相手してくれた)、大阪にいる頃飛田新地に数回(この時は20代の女性だったような気がする)いった。
お金を払って、初めて会った女性とセックスをしたか、射精を助けてもらった。
気持ち良かったが、自分の人生の先行きの見えなさに憂鬱だった。


射精した後で何となくほのぼのと話した言葉細かいところは忘れたが、お店の様子はよく覚えている。
彼女の夫は働かないでパチンコばかりしているそうだ。
自由恋愛の対価の1万円のうち、すこしのお金を返してくれて、また指名してねと彼女は言った。
次に行った時彼女はいなかった。


20代の終わりに務めていた不動産デベロッパを辞めて、かつての上司に連れられて1時間いたら30万円とられるというキャバレーに連れて行ってもらった。猛烈に楽しいひと時であったが、行かないで15万円貰ったほうがもっと良かった。

水戸に出張で行った時は地元のディーラーの人、(花粉症だったなあ)に連れられてフィリピン人のキャバレーにいった。
片言の日本語と、スルメにマヨネーズつけて食べさせられるのには閉口した。
「おさわりまでだよ」(「おさわりダメですよ」だったかなあ)と言って下品な笑い方をするディラーとはその夜以来もう会っていない。
その程度の人間かと思われたのは不愉快だったが、彼女のおしりは柔らかくもたれかかって来る頬は気持ちよかった。
やはりその程度の人間だった。

安吾ならば「私は海を抱きしめていたい」とつぶやくところだろう。


安吾「私は海を抱きしめていたい」より結びの一節

私の肉慾も、あの海のうねりにまかれたい。あの波にうたれて、くゞりたいと思つた。私は海をだきしめて、私の肉慾がみたされてくればよいと思つた。私は肉慾の小ささが悲しかつた。







色々と考える。あの時であった女性たちはどうしているだろうか?

あの花粉症のディーラーはどうなったかなあ。