漢字の勉強事始め

ここ数日の話である。

小学校6年間の1006文字の漢字一覧を買った。

6年生の息子と一緒に漢字のテストをしてみたが、小学校3年生の漢字も間違えるのである。
跳ねが付く付かない?、棒の数が何本か?
書き順も全わからない。

愕然としたが、僕の漢字力はこんなもんだった。

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小さい頃から漢字が苦手で、大変だった。
母は何度も繰り返させるし、習字を習わせられたり、苦痛だった。

毎晩、紙に書かせられては、それは違うと怒られる。
間違えた漢字は何回も書かせられる。

毎晩、自分が評価され何度も否定される。
兄と比較され、この子は本当に馬鹿じゃなかろうかと心配される。

これは苦痛である。

「物」「投」の左側ははねるのはねないの?
「小」「火」「性:こざとへん」「将:へん部分」の縦棒は何番目に書くの?
これだけの多くの数の漢字に対しての規則を個別に暗記出来る脳を僕はまだ持っていなかった。


そして直感的に理解した書き順はいつも間違えていた。
小学生位の「成績のいい子」と言うのは直感的に理解した物が正解なだけではないかなと思っている。その直感的な理解は標準偏差分布に成るのではないかなあ。そして僕はいつも最低の方にいた。


小さい頃から繰り返し書かせると書ける様になるなどと言うのは嘘である。


当然、母を嫌う訳には行かないから『漢字』を嫌い続けた。

漢字が嫌いなのではなく、闇雲に書かせられる事が耐えられなかったのである。
適切な教え方も出来ないくせに、書けない事を子どものせいにするのは間違えている。(ちなみに、今の僕の講習会での生徒に対するスタンスはこの頃の体験から来ているのだろう。)

頭の中で考えている事が大事で、きたない字は関係ないとうそぶいていた。
最初に入った出版会社で編集長に嫌われたのも字が汚かったからである。(この事はいつか書こう)
ワープロ早い時期に勉強したのは良いことだったが..........

子どもたちが同じ運命を辿るかと思うと残念だった。

何度も漢字に付いては勉強しようかと思ったのだが、いつも失敗していた。
白川静夫さんの本とか、沢山の語源の本、凄くいっぱい持っている。
しかし、失敗して来た。とにかく興味がわかないのである。

きれいな字を書こうとすると、最後は「繰り返し」に終わるからである。

僕は漢字の学習で繰り返しは愚の骨頂だと感じていた。
繰り返しは、繰り返す事で間違えた書き順や形を体にしみ込ませて行くからである。
繰り返しの学習方法は、正しい手順を覚えてこそ意味があるのだ。

だから、駄目だった。

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ところが、『漢字を「覚えて正しく奇麗に書く事」は技術であり、言語化して伝えることができる』と言う考え方に出会ったのである。


「簡単ルールで一生きれいな字」と言うDVD付きの本である。
ちょっと興味が沸いて買ってみたのであるが、実に素晴らしい物であった。

嬉しかった。






ちなみに、言語学は僕の大好きな学問分野である。

チョムスキーさん、->スティーブンピンガーさん、その他諸々.....
彼らの本に書かれている言語獲得のプロセスなんかとも繋がるのである。



生成文法と言うのは、僕らの脳の中には『ルール』が有って、自分の考えている事を表現する時にそのルールに従って活動が起こる。
決して全ての組み合わせを練習している訳ではない。
これは当たり前の事なのだが、なかなか理解しにくい。
僕らが母語を習得した時の事を自分では覚えていないからなのである。


もっと、漢字を理解してからまた書こう。


しかし、面白い物だなあ、漢字とは。

今回は漢字と仲良くなれるかと思う。




重要な事は、4〜50年に渡る漢字との戦いに終止符が打たれたと言う事である。
僕は漢字と和解した。
書き順も勉強するし、『とめ、はね、はらい』も理解する。
君は本当に素晴らしい人だったんだね。




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