教室の観察者は生徒、先生は当事者
なぜイジメを子供は先生に相談出来ないのか?
どうして、イジメで自殺した子どもがいるのに学校はかたくなに「イジメは無かった」と言うのか。
イジメの議論においても、『先生、職員、校長、教頭、のような、学校側』の人たちは当事者なのだと言う事が理解出来ないとわからない。
それも、いじめる側なのだ。
僕の視点では、「教師」もイジメから救うべき存在である。
いじめている子供も決して好きでイジメている訳ではない。
それ以外のあり方を出来ないのである。
性欲と状況がそうさせているのだ。
適切なカウンセリングで変えて行けるだろうかは疑問だが......。
カウンセリングでは性欲は無くならないのだ。
状況は変えられる可能性がある。
性欲はマスターベーションではなくならない。
妄想が加速して行くのである。
『特別なシチュエーションでのセックス+射精orオルガスムス』でしか人は性欲から解放されない。
マスターベーションの回数が増えて、現実と妄想が区別がつかなくなって性犯罪を起こすのだ。
この辺は「性暴力の理解と治療教育 」藤岡淳子著 に詳しい。
iphon(まあ、何でも良いが)でAVサイトを見て、トイレでマスターベーションをする様になったらヤバい状態になっていると思った方が良い。
性欲は人を支配するのだ。そして逃れられる人間はいない。
僕の特別なシチュエーションって何だろうか?
誰がそれを作ったのかなあ。
もし居るならば、神様に聞いてみたい。
子供のイジメの議論において、性欲と言う言葉は『ホルモンのバランス』『リビドー』など色々な呼び方はある。
いずれも、「大人の性欲」と区別したいからそう言う言葉が発せられる。
実際には、何も変わらない。
教師の感じる性欲と生徒の感じる性欲に区別は無い。
まあ、大人の方が熟練しているから、具体的なセックスにおいては有利だろうが.....金もあるし。教師が生徒とセックスする事ってどのくらいあるのかなあ?
正確な統計が知りたい。セックスしたいと思う事って沢山有るはずである。
これは統計など無くても良く分かる。道行く女子高生見れば、姦淫したいと思う事は自分でも良く有るから。先生が無いはずが無い。
無いと言うならば、誰か、それを証明して欲しい。
『教師の生徒に対する性欲の不在証明』
また、逆も有る。
生き物の性行為は両方が受け入れる状態にならなければ行われないからである。
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事態を複雑にするのは、家庭で「親」もいじめる側と認識される場合が多い。
そうすると、子供は行き場が無いのである。
自殺する他無い。
先生に充分言っておいてからいじめられないからねとか言われて学校に行かせられる事はまさに「絶望」である。
子供は毎朝「刑務所」に通わされて行く。
教師は看守で、看守が見ていない所で権力者にいじめられる。
そう言うモデルになっている学校がいかに多い事か。
自殺した子の親の後悔を見ると、「自分は子どもを休ませなかったのか」と感じている事が多い。
声を聞けなかったか、サインを見落としていたのか、良く語られる。
ヒトは、聞いてくれる人にしか声を上げない、サインは救ってくれる可能性があるヒトにしか出さない。
見落としたのではなく、でていなかったのだ。
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文化人類学において、異文化に接した時に「観察者となりうるのか」と言う議論がある。
まなざしが文化を変えてしまうと言う議論である。
知らない間に、先生は加害者になっている。
それを充分理解していなければならない。
例えば、自殺が起こった学校に通学している他の子供が告発など出来はしない。
そんな学校では、次は自分が殺されるからである。
そんな学校に通いながら人生を生きる子供は可愛そうだ。
橋下も国歌強制する前にもっとやる事あるだろう。
不愉快である。
そうそう、NPO作ります。
イジメの加害者を救うNPOです。
当然、先生や親も入ります。
イジメで性欲を発散する事を訓練して大人になった人たちも含まれます。
僕も、会社組織の一員で、部下を持ったとき彼や彼女をいじめていた事を思い出しては憂鬱になります。
なぜあの時にあんな言葉を発したのか?
あんなことをしたのか?
自分も、迷える大羊(性欲付き)なのです。
3年くらい議論続けます。
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