タブーの問題

昔、筒井康隆さんは『タブーの多い社会は未開である』と言う事を書いていた。
当時、筒井康隆信者だった僕はなるほどなあと思った物だ。

今では構造主義者である僕は、「人間はタブーを作り出す機械だ」と考えている。

ステーィブンピンガーさんが書いている一連の著作では文化の間の差異を探すのではなく同じ物を見つけようとしている。
ポール・エクマン(Lie to meでしか知らないが)さんなどの基本の考え方は「ヒト」とは何だろうかと言う問いかけである。
彼の本を今度買ってみよう。

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タブーと言うのは、性欲の問題を語る時に、いつも問題になる。

性欲と言う言葉は、議論の中で上手く話せないのである。
どうしても、相手がセックスしている姿を考えてしまうのだ。



娘が、いつか誰かとセックスするのは分っているが、想像したくないのである。

また、自分が娘、母親とセックスる事を想像出来るだろうか?

相手が自分である想像などあり得ないと思うのは浅はかである。
神話、自分たちの起源の言い伝えでは「親子の間でのセックスと子孫がその2人から生まれる」と言う物語は多くある。

つまり多くあるのである。

児童虐待は子供に対しての性欲の発散の一種なのだ。

タブーの存在は、それが起こっている事実を裏付けるのである。

昔、法社会学の授業で知った。
法律は文化を映す鏡なのだ。



想像出来ない訳が無い。

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例えば、援交問題を話し合う時にどうしても自分が高校生に性欲をいだくか考えない訳に行かない。
相手がそうなのか想像する必要はないが、想像してしまう。
「自分は違うけど」と枕を振るのは言い訳にすぎない。



ホモセクシアルの事を考えると、自分が犯されたらどうなのか考えてしまう。
自分はホモでないと言い張るのもおかしな物だ。
10%はいるし、それは自分で決められる物ではない。宝くじに当たった様な物である(もっと確率は高い)

今のパラダイムは幼児虐待を否定する風潮である。
昔は社会をあげて同性愛を否定していた物だ。





グルメ番組やAV が存在するのは、「人のもっている共感する力」のおかげである。

ピンガーさんの最近の著作で確か4文字言葉を考察していた様な気がする。読み返そう。




もう少し、イジメが性欲に起動される行為だと言う事を議論しやすくしたい物だ。

今日の教訓はそれである。





ミトコンドリアの凄さが実感される今日この頃である。
腸内細菌の事を書いた新書本読んで感動したのであった。




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