僕は、あの頃の僕を助けたかったんだ

大学で教職課程をとった事に、疑問を持った事はなかった。

子供のいじめに関して異常な関心が有る事も余り気にしてはいなかった(当たり前の事だと思っていた)。

先日、教育現場の方と話しをして、彼がいじめを受けている子と僕の交流を「共感するから信頼されるのだ」と言ってもらえて、家に帰ってから気がついた。

中学校の頃、僕をいじめていた子供の名前を思い出したのだ。
T君とS君である。
彼らの名前を忘れていた事に何も疑問を持っていなかった。

「解離」と言って忘れないと生きて行けない事を忘れる自然な事なのらしい。

一気に沢山の事を思い出せた。


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T君とS君は担任の前では僕と仲良くしている様な振りをして担任がいなくなるとこずいたり叩いたりを繰り返した。
もう一人K君と言う子どもがいたのだが,彼もけられたりつつかれたりしていた。
僕はその子がいじめられているのを「当然だ」とおもった。
その子は「うざい」から、僕のかわりにT君S君がいじめてくれていたのだ。
僕もいじめられている時は皆そう思っていたのだろう。

中学1年か2年の頃の話である。


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僕は中学校に入った時「たどう児」だった。
理科のM先生の授業の時は特にひどく授業中に教室の中を立ってあるいたり、奇声を上げたりしていた。
教室の外に机毎出されたりしていた。


二年になったら、同じクラスに違う小学校の乱暴者(エロイ奴ら)と一緒になった。
もしかしたら1年の時からかもしれない。

もう少し考えたい。



担任の国語の授業で「ボーットしていてピントの合っていない子供の事を書いた文章」を話し合っている時に、「このクラスにも居ますよね、誰とは言いませんが....」と言った。
僕以外の皆が声を揃えって笑った。

担任が、「僕をいじめても良い」と言うサインを出したのだ。



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いじめがひどくなって、僕はカッパブックスの「少林寺拳法」の本を買った。
兄貴と本格的な喧嘩のトレーニングをした。座布団でグローブを作りパンチをよける練習である。夕方の奥の6畳の部屋でやった。
強くなる訳が無い。

昼休みにグランドの隅で2人に蹴られた。教室に帰らねえと怒られるから早く来いと引きずられて校舎に向かって走って行くシーンがあった。
無論教室から担任も見ていたが、楽しく遊んでいると思ったのだろうなあ。



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辛くて学校に行けなかったから、登校する振りして家の裏に隠れて母が仕事に出た後で家に入って、ジーッとしていた。
クロと言う犬が居たのだが、彼と遊びながら、このままずーっといたいなあと思っていた。

具合が悪いと言って学校を休み出した。


不信がった母に話す事が出来た。

『子供が学校を休むのは話しを聞いてもらいたいサイン』なのだと言う事を理解出来ていない先生や親には殺意を感じさえする。
僕は運がよかった。母がゆっくりと時間かけて聞いてくれたのだ。
少林寺拳法の本も読んでくれて、いい本だねと言ってくれた。



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その後、何らかのやり取りが担任と有った様だ。


担任とT君S君がウチにきて一緒に食事をした。
これからは仲良くすると言う風に話し合って、終わりと言う事になった。

多分、夏の始まりの頃の様な気がする。
夏休みの後から学校に行った様な気がする。





2人は僕と一切話しをしなくなって、3年生になった時には別のクラスになったと思う。




僕は友達の居ない子供になった。
それでも、2人友達が居て、時折トランプをした。


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父と、高校に行きたくないと言う話しをした事を覚えている。
床屋さんの学校に行きたいと話した。
2人で日曜の朝に散歩しながら「将来のことは高校を出てから考える事にしないか?」と言われた。

僕は高校受験で不合格となり、電車通学の学校に通う事になる。

高校では、余り話の合う友人も出来なかった。
悪い事を共有しないと友人は出来ない。

タバコ吸ったり、自転車盗んだり(高校から新潟駅まで遠かったのだ)、下宿している奴の所で酒飲んだり(微々たる物であった)、映画見たり。



名画座が一軒あって、映画を見ているとき僕は幸せだった。



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きっと、僕はあの頃の自分を助けたいのだ。


いじめは、人の社会全体に見ることのできる人間関係のダイナミックスだと思っている。
担任が不用意に「子どもを叱ったり、いじったりする」ことで、ターゲットが決められる。
エロイ子供は自分の性欲が他者を支配する事で解消される事を発見する。



大人になったとき彼らはどんな人になるだろうか?
いじめている子も同じ子供である。
決して責任は無い。

ホルモンのバランスが加害者と被害者を分けている。


そう言う意味で性犯罪と非常に似ている。

子供は社会の宝である。
犯罪は無くならないが、発生率は低くすることはできる。
不幸の数は少ない方が良い。
悲しみは少ない方が良い。






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