いじめの研究 応報的司法と修復的司法

修復的司法とは何か―応報から関係修復へ

修復的司法とは何か―応報から関係修復へ


数年前に「修復的司法」と言う考え方を知った。
その考え方は、大学の頃からの疑問に答えてくれるものだった。

僕は「いじめ」を性犯罪の一種と考えている。
そして、修復的司法のアプローチでしか解決しないと思う。






「修復的司法」のアプローチは少年の犯罪や、性犯罪に対しては適切だと思っている。
現在の社会が犯罪に取っているアプローチ=「応報的司法」より、正しいものだと思っている。

応報的司法と修復的司法の間には大きな溝があるが、その両者は一人の人間の中に同時に存在する。


犯罪を犯した人間の事情を考えに入れるか、入れないか。
被害者の実質的な今後の事を考えるか、考えないか。
被害者と犯罪者の家族の受けた傷の事を考えるか。考えないか。
コミュニティの受けた傷の事を考えるか、考えないか。

コミュニティと言うのは関係していると意識している人々全体をさす。
同じ地域に住んでいるとかと言う事を意味はしない。





現在の日本の社会のは「国家」対「犯罪者」の問題となっている。
国民を傷つけたり殺していいのは国家しか無いのである。
犯罪は国家権威に対しての挑戦であるからその尺度の元で罰は決められる。

決して被害者の救済は中心的な議論にはならない。
加害者の更生も関係しない。





犯罪(刑法で規定されていて警察が捕まえて裁判にかけて処遇を決める)までいかなくとも、私たちの社会では人を傷つける行為は沢山有る。

そう言う行為を社会の中でどう解消して行くかと言う問題なのだ。





「性暴力の理解と治療教育」藤岡淳子著 を読み返している。
実に示唆に富む良書である。




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