進化の存在証明 リチャード・ドーキンス
ドーキンスの本を読んだのはいつも頃だろうか。
利己的な遺伝子と言う考え方は凄かった。
図書館で「進化の存在証明」という本を借りた。
面白かった。
科学はDNAが生命の設計図である事を揺るがない事実と証明しつつ有る。
しかしながら、DNAの中にそれぞれの完成図が有ると言う考え方にはどうも腑に落ちなかった。
完成図が書かれていると言う事は、それは神様ではないか。
この本では、そういう考え方が全く違う事を教えてくれた。
生命に指揮者(神様)はいらないのだ。
例えば「人」の定義は、同じDNAを持った細胞が集って外敵から自分を守り、生殖と言う形でより強力なDNAのコピーを作るとでも言えるのだろうか。
大事な事は、生き物と言う単位が「細胞の集まり」であると言う事である。
DNAは設計図であるが、「生き物全体の設計図」ではないと言う所である。
「細胞自身の設計図」でしかないのである。
DNAが「人全体」の設計図であるといつ思い込んでいたのだろうか。
DNAは細胞の設計図でしかなくて、細胞は他の細胞の事を考えてはいない。
体の細胞は、ただそこにいて、外からの刺激に反応しているだけなのだ。
ムクドリは、ただ自分の思う通りに飛び、歌う。
しかしその姿は外から見るとあたかも大きな姿を持った生き物に見える。
イワシもただ泳いでいるがその姿は大きな魚影に映る。
「人の細胞」と言うDNAの乗り物は決して「人」と言う単位を知りはしない。
しかし、人に心が有る事を疑う気にはなれない。
ムクドリの集団は心を持つのだろうか?
それが分った事はとても面白い事であった。