アーサー・クライマン「病の語り」、アーサー・W・フランク「傷ついた物語の語り手」

気になって、買った。

届いて一読、かなり凄い。
色々と、考えていたことがドンピシャであった。

専門家の独占している医療と呼ばれる権益領域の問題を考えねばならない。

素晴らしい、今年は哲学者になるのが目標だった。
年始に父母との関係が新しくなり、僕は少し成長した。
4月に糖尿病に追いつかれたことを知り、一度は死を決意した。
10月に糖尿病とともに生きる道を知り、もう少し生きることにした。

12月に又素晴らしい本とであった。


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病いの語り―慢性の病いをめぐる臨床人類学

病いの語り―慢性の病いをめぐる臨床人類学

傷ついた物語の語り手―身体・病い・倫理

傷ついた物語の語り手―身体・病い・倫理

『ティファニーで朝食を』って好きな小説なのだが、映画もチョット良い

ウクレレ動画探していて、あっと思ったのだが、『ティファニーで朝食を』のムーンリバーってウクレレだったんだなあ。


小説では、彼女は、一箇所にとどまる事を良しとする女性ではなく、放浪を続ける。

テイラースイフトの音楽と同じ根を持っている。(1 )(2)



いつか、この物語の思い出を書きたいのだが、上手くかけない。

昔、東京で暮らしていた頃、同じアパートに住んでいた自由奔放な女性との出会いと別れである。
彼女は、今、何をしているだろうか。

共通の友人から手段は有るのだが、どうもその気にならない。
忘れたいのだろうか、そのままに思い出にしておきたいのだろうか。


カポーティってあんまり知らないのだが、凄いよなあ。

Carol Graceと言う女性が主人公のモデルだという事を初めて知った。
僕の大好きなウオルターマッソーさんと結婚して子供がいると知ってビックリである。

世の中知らないことばっかりだ。
けど大丈夫。What You Don't Know Won't Hurt Youなのだ。


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『私達は今でも進化しているのか?』(1)この本は糖質制限を批判しているのだろうか。問題は私達にエデンの園はないと言うことである。

『私達は今での進化しているのか?』と言う本の帯には「炭水化物は人類を滅ぼさない」と書かれている。

巻末の解説という3ページほどの『炭水化物は人類を滅ぼさない 垂水雄二』と言う文章が付いている。
この本は大変面白い内容なのだが、こういう馬鹿なことをされてはなあ、残念である。
それだけ、「糖質制限」と言う考え方が話題なのだろう。

この、垂水雄二と言う人は、ドーキンスの翻訳なんかもしているのだから結構有名な人なのかもしれないが、この解説文はいただけない。
糖質制限が、バレオダィエットの派生品だと論じているのであるが、全くの間違いである。
また、炭水化物が人体に絶対に必用な栄養素だというのも間違いである。ここに載っていた。


ブドウ糖(グリコース)」はあらゆる生命の『共通の通貨』ではあるが、食べ物としての「炭水化物」はそうではない。

ヒトにとっても、原始時代から炭水化物は食物摂取の大きなアイテムではあった。
しかし、決して今のように多くはなかった。
採集生活の中で時々出会うお宝だったのである。



多くの(反糖質制限派の)論者はこの2つの命題をごちゃにしている。また逆も言えている。



糖質制限の源流は、先にも書いたがアメリカの医師バーンスタイン博士の様に既存の医学に対しての挑戦にあった。

詳しくはこちらをどうぞ。



とにかく『糖尿病の治療』というのは歴史が浅いのである。
今度書きたいと思っているのだが、『インシュリンインスリン)』の発見はわずか1920年である。
そして夢の治療薬として、多くの患者を救う、と同時に医薬品メーカー、医師に大きな利益を与えるのである。



この問題の根は、『グローバル企業による炭水化物の異常な量の販売』にあるのである。
ヒトが炭水化物を、ある程度の量以上に摂取すると、体の中で処理できなくなる。

僕は2型糖尿病で、おそらく膵臓のランゲルハンス島のβ細胞はすでに多く死んでいて、炭水化物の襲来に適切に対処できないのである。
蕎麦gi値は低いと言われ推奨されている食べ物)一杯食べただけで386mg/dlまで血糖値が上昇して下がらないのである。

糖尿病が、炭水化物アレルギーであると考えれば理解できる。
また、「糖質制限」を推進する側の論調も「少し過激であったりする所」が批判されてもしょうがない部分でもある(笑)。


この本は、「バレオダイエット」と言われるダイエットに対しての全面的な批判である。

「バレオダイエット」とは原始人のライフスタイルこそが素晴らしいという考え方に立っている。

人は文明によって、不幸になった。「採集狩猟型の生活」はパラダイスであった。
そもそも農耕が不幸の始まりだった。
という考え方がバレオダイエットの根幹にある。

そして、人類に最適の環境というのは『農耕以前の環境なのだ』という考え方である。

著者は「このダイエット(及びベースの思想)」を批判するとともに、私達の「進化」に対しての考え方を問いなおしている。



そもそも「エデンの園」と言う神話が何を意味するかというと、「今の私達は不幸である」「昔はよかった」この2つの考え方である。
その考え方に対して「進化」の立場から批判するのである。




進化というのも、誤解の多い言葉である。
進化とは環境に対して適応しようとする『自分が変わろうとする生命の力』なのである。
同時に「変わることで競争に勝とうとする生命の戦略」である。

そのような生命のあり方を考えてみれば、『最適な生命』などというものはないのである。
生命は常に変わることで環境を変えて他の存在より優位にたとうとしているのである。
固定的な、環境などはない。

所が、バレオダイエットの考え方は、どこかに、私達にとって最適な環境があり、私達の遺伝子はその環境に最適化されているという考え方がベースにある。


P61にピンカーさんの「暴力の人類史」を引用している。
僕はピンカーさんが大好きなのである。

ピンガーさんは『今の時代は戦争という大量殺人があり不幸な時代で、過去は良かった』という考え方を違うと言っている。
彼は、採集狩猟のライフスタイルは非常に暴力に満ち満ちている環境だったと論じている。

この本の中で、ピンカーさんは「人類学者による採集狩猟の文化で生きている人たちの調査」を上げている。

ある集落の男たちが狩猟に出かけているスキに、他の集落の男が襲いかかったのである。
女、子どもはさらわれ、年寄りは殺されるのである。
襲われた集落の男たちは二年後に同様の事を襲った集落に対して行うのである。

また、化石となった人骨に人の歯の跡がついていたということから、人間は食物であったこともはっきりしている。
採集狩猟の生活は、食物を保存しておくことが困難な生活であった。

社会の生産性が低い時代は、小さな集落しか維持できない。

すごい話である。



では、農耕は何を変えたのだろうか?


食物を保存することが可能になったのである。


穀物は、乾燥させて保存が可能なのである。また、ほとんど手間を掛けないで食べて活動することが出来る。

炭水化物の栽培は労働力に対しての数倍の人間を維持できるのである。

これが何を意味しているか、他の集落の人間は殺すより、栽培に使った方がいいと言うことである。
また、むやみな殺人は、労働力や戦力の低下につながるので、抑制された社会のほうが優勢になる。

その意味では炭水化物とヒトは共存している。
すでに、ヒトは炭水化物から離れては存在できない。





問題は、『炭水化物の依存』をビジネスに結びつけている社会システムにある。
穀物メジャーと言われる一連の企業は、手軽に食事を始められて、強烈な満足と依存性をもつ炭水化物を売って利益を出しているのである。

日清の炭水化物事業(カップラーメンや小麦粉など)を考えれば分かる。
世界の一番安く作れる所で作った炭水化物を一番高く売れる所で売るのである。


僕のように閾値を超えて炭水化物をとり続ければ、当然、体は多すぎる「ブドウ糖」を処理できなくなる。


グローなリズムはますます多くの人間を不幸にする。




僕は、過去を良かったものだと考えるのは間違えだと思う。
そして未来に過大な期待をかけるのも問題である。

未来とか過去を論じるには私達の生命は短すぎるし、見えるものがあまりに少なすぎる。



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暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

私たちは今でも進化しているのか?

私たちは今でも進化しているのか?



凄い詳しい評を書いている人がいた。

田中克彦先生の『従軍慰安婦と靖国神社』を読んだ。

僕は田中克彦先生の大ファンである。

最初に読んだのは大学の頃で、「ことばと国家」だった。
その後、「言語からみた民族と国家」「チョムスキー」「スターリン言語学精読」「言語学とはなにか」「言葉の差別」「法廷にたつ言語」他(後は本棚に見当たらない….)と読んだ。
その後、僕はスティーブン・ピンカーさんと出会い、「言語学」はその後、様々なことを考える原動力となった。



ここ数日僕は「阿賀野高校生の自殺」の事を考えていて、言語が『コミュニティを作り出す私達の本能』といかに関わっているのかということを考えていた。
言語学を通して「ヒト」と言う生き物を見たらどう見えるかということを考えていた。

言語学というものを学ぶ、出発点だった先生の最新作を読むことはスリリングな体験だった。

チョムスキーは政治的な発言をたくさんしているが、人として当たり前のことだと言っている。
偉い学者先生では無く、(社会に生きる)人として言葉を発するべきだと言っている。






この本は、「随筆」という形を取り、先生の学問を生み出したバックボーンが書かれている。
また、学問の枠を飛び出して人間としての言葉を聞くことが出来る。


この本に対しては、あまりにひどい批判がネットには散見する。
しかし、どんなに文字をコピペしても先生の言葉は薄まりはしない。



言語学は、民衆の「知」であり、権力が自分を正当化するための「歴史」の対局にあるということを書いている。
そして、「民衆が愚鈍だ」と断ずる学者を批判する。

民衆史、民俗学文化人類学の視点と重なる。


二宮尊徳のようになりなさいと言われてい来た愛国少年は、「(二宮尊徳のように)履くものもない貧しさが戦争を生むのだ」と実感する。
日本人ではなく「日本語人」と呼ぶことが好きだと語る。
日本の地図は漢字で地名を表記するがもともと地元で呼んでいた名前が分からないと嘆く。


国家や行政の区分などより、はるか昔(論理的に)から自然(ことば)はそこに有り、私達は存在している。

僕の今の関心から言えばコミュニティと言葉の関係がもっと知りたい。







言葉のコントロールを通じて、他国を侵略し、自由を抑圧してきた歴史を研究なさってきた先生の言葉は叡智にあふれている。

言語という見方を通じて、個人と国家、地域と国家、の葛藤を研究してきた先生の言葉は懐かしく、新鮮だ。




僕の父と母は1930年生まれなので先生とほぼ同年代である。
国を挙げて戦争に進んでいた時代を行きた最後の生き残りである。
父母の言葉をいつも聞いている僕には先生の書いていることは実によくわかる。

直接に戦争を体験している世代がいなくなり、同時に一部の人間は国家による教育とマスコミの言葉に喜んでいる。

先生は、昨今の政治の風潮が戦争に向かっていることを本当に憂いているのだろう。

くだらん連中は勝手なことを書くだろうが、もう少し私達に言葉を残して下さい。
必ず引き継ぎます。

2014年最後に読んだ一冊である。



先生のまだ読んでいない本を注文した。



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「信頼と裏切りの社会」 一読。すごい本だ!

先日、娘の誕生日のプレゼントにモレスキンを買いに新潟のジュンク堂に行って本を見つけた。

「信頼と裏切りの社会」 2013/12/24 ブルース・シュナイアー (著), 山形 浩生 (翻訳)

山形 浩生さんは大好きな方で、新しい本が有るなあと思い、パラパラと見て、恐ろしい衝撃を受けた。
イジメがなぜ社会、コミュニティ、グループ、年齢も性別も関係なくヒトの社会に「広範囲に起こるのか?
そんな疑問に対して統一的に説明できる理論である。

同じ「社会、コミュニティ、グループ」に属しながら共通の価値を持たない人間を「社会、コミュニティ、グループ」如何に扱うのかという事を論じている。
まさに、イジメがその現象の根に持つ問題である。


はたして、この方向がいいものかどうかもう少し進んでいきたいと思っている。



以下、友人にだしたメールの引用

インターネットセキュリティの専門家である著者が「技術的な問題」でない観点からネットの危険性を論じています。

従来、私達のコミュニティは狭い範囲で閉じていて、構成員それぞれの利害を暗示的に理解していた。
その上で、コミュニティの共通の利害に対しての行動規範が有った。
その上で、裏切り者に対しての対応が(暗示的に)決まっていた。
共同体が大きな範囲に拡大したために従来のルールでは対応できなくなっているという事を論じています。

今、僕は、この裏切り者に対しての対応こそが「イジメ」だと考えています。
私達の本能(と言っていいような深いレベルでのビヘイビア)がイジメを生んでいると考えています。

やっぱ、アマゾンだけじゃ駄目だよね(笑)

この本のお陰で、ずーっとかけていたピースが見つかったような気がします。
イジメを生む原動力をどこに求めるのかということに対して僕の今までの考え方では駄目でした。
『「支配欲」「性欲」を元にした集団のバランス論』とでも言うようなものを考えていましたので……..。
その論ではどうしても説明できないことがあり、有効な対策がたてられないのです。


【個人の利害とグループの利害】
工場で働いている時に1つの怪我の裏側には数多くのヒヤリがあり、そのヒヤリを少なくする方策が重大事故を減らすということを学びました。

私達の生活は、まさに分単位で様々なグループ、コミュニティを作り、その中でそのグループ、コミュニティの共通の利益と個人の利益を調整していきます。
例えば、電話一本かけて話をするだけでも、生じると思っています。

その様に動的に小さいイベントが積み重なって関係性が固定されていくと考えるとよくわかると思います。


イジメを何らかの大きな事件(イベント)に結びつけることは労多くして実り少ない物と思っています。
ヒヤリをいかに検出して少なくする方策を考えなければならないと思っています。
また、教師との関係性の中に軋轢の原因が有るとすると、信頼の回復は困難だと思います。

事件が解決しても、その構成員がまたグループになった時に「同じ関係性」が生じて、別な形で問題が起こるからです。

互いに異なった利益を持った人間が共に何らかのグループになった時があるとします。
その時に互いの利益とグループの利益を「調整するスキル・ビヘービア」を明示的に学ばなければならないと感じています。



最近ハマっているアドラー心理学なども援用して論をたてたいと思います。


【おまけ】

子育ての過程で多くの問題が見られます。またDVの連鎖も大きな問題です。
パワハラ、セクハラの様な問題も、いかに個人、集団の利益を調整するか、という観点から考えないと駄目なような気がします。

僕はそういった家族・会社・グループ・コミュニティに見られる一般的なの問題も、どこでビヘービアを学んだかということを考えれば、人の社会全般に統合した理論が成り立つような気がします。


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永六輔 「みだらまんだら」

荒川強啓「デイキャッチ」でひさしぶりに永六輔さんの声を聞いた。

もう80歳なんだなあ。
僕が中学高校のころ、地元のラジオ局で彼の声を聞いていた。
好きだったなあ。なんという番組だったろうか。

当時、成田闘争の真っ盛りだった。
確か、司令塔に過激派の人達が入って立てこもった時に、機動隊が窓を破って突入する。
NHKのニュースでは過激派が立てこもって窓を破ったと言っていた。


永六輔さんはラジオで「窓ガラス割ったのは機動隊だよね」と語った。
あ、そうだよなと思った。ニュースっておかしなことを言うんだよって柔らかく教えてくれた。


その後、土地を離れることを拒否している白髪の老婆を機動隊が引きずり出す姿を見ることになる。彼女の心を考えると今でも涙が止まらない。忘れられない体験である。

この頃は日本の民主主義と市民の関係が決定的に決まった時期のような気がする。

つかこうへいさんの「初級革命講座飛龍伝」なんかも大きくショックを受けた。
なんか、このお二人には同じように惹かれる。


尺貫法や米穀配給通帳がおかしいものだと言うこともよく語っていた。
政治に対して市民の視点から発現することは重要だ。
生粋の江戸っ子、お寺の息子、僕は大好きだなあ。

法と社会の乖離をどう考えるべきかという彼の問題提起はその後法学部に進むきっかけになった。

永さん、ずいぶん声が変わっているような気がした。
リハビリを頑張っているそうである。
僕にとっては国宝である。


沢山彼の本を買っていた事を思い出した。

「みだらまんだら」と言う本を書いているのだけど、もしかしたら最初に人間にとって「性」がいかに深く根ざした問題なのか考えた本かもしれない。
セックスについて何も体験していない子どもにとっては不思議な本だった。

読み返したいなあと思いながら、地下のどこに仕舞ってあるかわからない。

もしかしたら、図書館から借りたのかしら?


今ネットで探したら、日本の古本店と言うサイトで見つけた。

早速会員登録して注文したのだ。


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96時間リベンジを見た

 

96時間リベンジを見た。

80%の部分を16倍速で、打ち合いのシーンが見つかると2倍速で見た。

面白かった。

予告編集も楽しめたなあ。


しかし、仕事しながらよく見ているなあ。




改装セールで1本50円の近所のビデオ屋さんバンザイである!


closerのファイナルシーズンも全部借りた(笑)


俺はほんとうに忙しいのだろうか。


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